2010年12月18日土曜日

午後二時都心の気温

今日はセーヌの流れに沿って 印象派と日本人画家たちの旅 を都心の美術館へ見に行った。
東京駅八重洲口を出たところにある電光掲示の温度計で10℃だった、少し寒かったが風が無かったので苦にもならず美術館へ行き印象派の絵を見て築地まで歩いて行ったら汗をかいてしまった。
暮れの都心は銀杏並木が黄葉し散りかけて、或るところでは落ち葉掃きをしていたから風が少し強く吹けば全て散るだろう。
昨日行ったお濠端の銀杏並木も同じ状態だったから都心はクリスマス頃には散ってしまうだろう、最後のもみじ見物をする人は急いだほうがよいだろう。


  どこ見てもサンタいまして銀座道     七一翁

2010年12月17日金曜日

茶壺

茶陶の道 天目と呉州赤絵という展覧会へ行った。
宋時代福建陶磁、福建天目、輸出された福建青磁、呉州赤絵などの茶碗、皿、鉢、花瓶などがずらりと並び、中には国宝ものなどが出展されていた。

その中でいかにも日本らしいと思ったのが唐物茶陶と呼ばれた茶を入れて輸入した茶色の壺だ、会場の説明によると品物を出したこの空き壺に美意識という間興味を持ったのは日本人しかいないそうだ。しかも家康、前田家、黒田家などが持っていた名品があるのだ、検索をかけたら2点ほど出て来て
写真のものは前田家伝来だったそうだ。(google よりcopy)
僕にはただの種やお茶が入っていた壺、それをピカピカに磨いて蓋を象牙などで作って付加価値を付けただけで大騒ぎするほどの事もないと思うが見る目が違うとすごいお宝になるから不思議だ。
戦時中の瀬戸物で作った尿瓶や湯たんぽも価値が出てくるだろうから持っている人は大事にしたら好い。

濠端の公孫樹枯れずサンタ居て     七一翁


2010年12月16日木曜日

俳句

最近、この一番下に五七五の自分とすれば俳句、人様が見ればテレビでやっている575(ごしちご)と同じだと云われてる様ですね、それはどうでもかまわないのだが一応季語を入れて作っているつもり。
週刊朝日で山藤章二さんが昭和を代表する句が無いと思うと氏の似顔絵塾に書かれていたが、物凄く大勢の方が発句され同人誌以外にも新聞雑誌など投句する場所が多い時代に、どう選ぶかだが簡単には選びきれないだろう。
僕は骨骨が昭和天皇誕生日に生まれた事もありみどりの日と呼ばれた時期、つまり崩御間もなくの時期に作った 緑濃く昭和は未だ指呼の間 がいいと思っている。


 暮れ来ても洟すすり行く歯科医かな     七一翁

2010年12月15日水曜日

柑橘類が豊作

この近辺で今年は武蔵野名物の堅果は全くと言っていいほど不作、幼稚園の子供たちがドングリ拾いに苦労するほどだった、逆に柑橘類は当たり年らしくご近所のどのお庭のレモン、夏みかん、柚子の木は見事に立派な実をつけている。
異常気象の高温が福となり立派な実がつけられたのだろうか、聞くところでは近年の温暖化は南の地域の農業に影響を与え稲でさえ適さなくなったと新聞で読んだ。
先を読む山形県のさくらんぼ農家が北海道で木を植え始めたそうだ、ミカンが東北名産となりバナナやマンゴーが九州で露地栽培で収穫出来るという話しがまんざら与太話で無くなるかもしれない。
話しは飛んだが豊作のおかげでご近所から冬至のお風呂にどうぞとたくさんの柚子を頂いている、この写真のオレンジはナツカンとバレンシアオレンジの混血みたいだが豊作のおすそ分けです。






  金色の柚子たわわに生りて陽短し      七一翁

2010年12月14日火曜日

僕が働いた場所


郡山の工場が閉鎖されると福島の新聞に載っていましたよとmailを貰った。
これで会社で働いていた事業所で本社と研究所を除くと全て無くなってしまう、新宿、郡山、中頓別、山形、郡山の工場で働いて来たがその最後の一つが消え失せてしまうとなると研究所と本社、海外での20数年以外の証しと云うか汗と涙の記録が存在しなくなる。


特に郡山は麦畑と野原を整地し日本で最初のコンピューターによるオートメーショーン工場というふれ込みで建設し工場が出来て行くところから見ていたし、東京オリンピックの開会式の日に試運転をしたり初めての自動化機器が巧く動かない経緯も鮮明に覚えているので特に思い入れがある。


牛を飼う人が少なくなり原料不足で工場があっても稼働出来ないのだろうし外国から買った方が安いからと理由は分かるが、杜甫の春望じゃないけれど国破山河在がひたひたと迫っている気がmailを読んで改めてした。




 銀杏を踏み潰してや人通り    七一翁

2010年12月13日月曜日

喪中の通知

私も生まれて三回目の喪中通知を友人知人へ差し上げた、また何通かの喪中通知を頂いた。
僕の年齢が年齢だけに下さった方の文面を見ると九十数歳で親御さんが亡くなったと書かれている。凄いご高齢だ(我が家もだが)、ほとんど百歳近い方が多数おいででした、僕からすればこれから30年近く生きる事になるのだ。これから生き延びれると仮定して、どのように生き切ればよいのか考えると頭が痛くなるし、最近の借金国情から考えて果たして生かしておいてもらえれるのかさえ疑問になってくる。
年金も無くなるだろうし世界一貧乏国に成り下がりボロをまとって物乞いしている姿が目に浮かんでくる、長生きが悪い時代が来るのではないかとハガキのお年を見てふと思った。


  
やがて去る手と見比べて紅葉かな    七一翁

2010年12月12日日曜日

一週間後の柿木

12日に野鳥と柿の実について書いたが、写真を撮った柿木がどうなったか見に行って来た。
実が一個残っているだけででヘタが枝に残されていた、じつは付近には先週同じように野鳥が来ていた木があったが数個残され、その一個にスズメが来ていた。
その付近にもう一本かなり実を付けたが木があるが未だ柿の実食堂にならず冬の午後の日に輝いていた。年が明けるまでに食べられてしまうのか見守っていきたい。
東北の各地から関東を見てみると柿の実を取り入れる家が少なくなったものだ、高齢化や離農が農村部ではあるだろうが都市部では何故だろう。




さざんかの花振り撒いてメジロ去り   七一翁