2010年8月12日木曜日

垣根


今回、京へ行き街道、住宅街、寺院や離宮周辺の道を走った。
そこで気がついたのは僕が如何に生垣や垣根、塀について知らないかだった。「横町の空き地が囲われたってな、塀!!」 と言った落語の枕みたいな垣根しか知らなかった。
今これを書くにあたって正確にどこにどのような垣根があったのか、それが何という名称の垣根や塀なのか、さっぱり思い出せない。しかし凄いなー、美しいな、江戸期以前の人の発想力の凄さと技術の巧みさに驚いている。
修学院に池の淵というか少し離れた処に大きな生垣が続いており植木職人さんが生垣の中へ入り込んで大刈込をしていたが、これは修学院が傾斜地にあり上に大きな池があり、これを保ち傾斜地が崩れないし池が崩壊しない堤防の役目をし木の根を蔓延らすことで強度出している。

写真は桂離宮の外側の生垣で竹を密に植えて隙間を作らず猫が潜り込めないくらいにしてあった。山科のインクライン付近の別荘の土塀にしても凝っている、有名な方の別邸だそうだが驚いてしゃべれなかった。

若い時に幾らでも機会があったが自分から逃し、今になって気がついても、もう驚きは残るが役には立たない、覆水盆に返らずだ。


蝦夷地より来るトウキビ冷たくて   七一翁

2 件のコメント:

仙風 さんのコメント...

自然との調和を常に頭においているので、自然にそのようにするのでしょう。真似出来ませんね、東夷には。

さんのコメント...

風土も違いますが同じ日本人でも考え方が違いますし生活のリズムが違います。
僕はがさつだなーと感じました。