2010年12月31日金曜日

お世話になりました



今年も多くの方に助けていただき、お世話になりました、本来なら御礼を申し上げに伺わなければならない処ですが、それもかないませんのでこれを持ちまして御礼申し上げます。このblogを読まれておられない方にはすみません。
このblogと云えば有難い事に一日60人から70人の国内、台湾、東南アジア、北米、東欧、北欧からの方がご覧くださり、つたない独断的な文章をお読みくださりひたすら感謝のみです。
来年も引き続き可能な限り毎日書く所存です、どうかお感じになった事を遠慮なくコメントしてください。
鳥見の方も健康のために出歩いて見た鳥を書いてゆきたいと考えていますので是非ご覧ください。
またお暇な折にはお誘いいただき旅行、飲み会、絵画などの見物をさせていただきたいとお願いいたします、こちらからもお誘いさせていただきますのでお付き合い頂ければ幸いです。


来年が皆様にとりまして良い年となりますよう祈念致します、なお母が一月に天寿を全う致しましたので新年のご挨拶を遠慮させていただきます。


 写真は神田上水富士見橋傍のコイ


  
晦日の蕎麦誂える電話聞き      七一翁

2010年12月30日木曜日

暮の公園

久しぶりに鳥見に出た、暖かい陽光が降り注ぎ冬を忘れる天候だった。
いつもの公園へ着くとまばらな人影、幼児や赤子の子守りをする若い父親、池の周りを走り回る若者から老人までの男性、双眼鏡片手に鳥見をする男性、フィールドを走るのも男性、ほとんど男性だった。鳥見で顔見知りの女性が忙しそうに買い物に行くから鳥見をしていられないと繁華街の方へ行った、つまり公園にいるのは暇を持て余しているか家にいると邪魔だから子供連れで追い出されたり、家におられず自発的に短期家出をした人が殆どだと云う事でした。


写真はシジュウカラ


 
    春来ると人忙しく鴨眠る    七一翁

2010年12月29日水曜日

納めの医者

14時予約の歯科で今年の医者様予約は全て終わった。
一部抜歯し凹状で凹んだところの歯茎を繕ってあった黒糸を抜いて歯肉がよく見えるようになり更地が出来た。テレビ番組のビフォ・アフターのように、この狭い空き地と隣の歯をどのように使って永福町の匠が来年リフォームしてくれるのだろうか。
今年は秋になり眩暈と歯茎の化膿という予想していなかった通院があり、いずれもかなり行動に影響して飯田線に乗りに行けなかったし仙洞御所と奈良の近鉄が経営する美術館へも行く勇気が無かった。
何と云っても眩暈が一番影響し未だに眩暈がまたするのではないかと恐怖が残るし軽度のが二回ばかり出て来た。
その影響で付録として毎晩一杯やっていたのを止めたという出来事まであるがどうか医者様のお世話にならないようにしなければならない。


  霜白く寒さつのりて飾り市     七一翁


写真は初霜と霜柱

2010年12月28日火曜日

ビワの花

公園のビワが開花していた、初めてビワの木を見たのは滋賀県へ疎開し刎ね釣瓶式の井戸のそばに
大きな木があったが実をつけたかは思い出せない、半年ちょっとの滞在だったし初めての農村は珍しいものが沢山あり関心が無かったのか或いは生らなかったかもしれない。疎開先でも食糧難だったから食べたら覚えているだろうから多分実をつけなかったのだ。
今頃開花し梅雨時期になると市場に出てくるから半年もかかって成長するのだ、他の果物より時間が掛かりすぎる気がしないでもないが花が少ない時期だから昆虫にとって恰好なエサで蜜を吸うにはよいのだろうハナアブみたいな小さな昆虫が来ていた。
このビワは食べごろになるとハシブトカラスが来て熟した順に食べていく、やつらは旨いものを知っている、毎年ビワがなったと書くのはこのビワの木だが来年も写真が撮れて書けるとよいが。


 ビワの花今年も咲いて明日は歯科   七一翁

2010年12月27日月曜日

ハーアァー何時散るのだろう

家の付近を散歩して気づくことはモミジ、イチョウの葉が落ちないで木についている光景がかなり見られる、先週は都心へ行く機会が多かったが、やはり銀杏並木が見られた。
寒さ厳しくなり上越国境に降っている雪が流されて都内でも降った場合に葉が付いていると重さで枝が折れてしまう。せっかく都内で大きく伸び残されている樹木が枝から折れたり幹が裂けたりしたら大ごとだ。北海道で10月15日に初雪が降りそのまま根雪になったときは北国でも落葉しておらずかなりの被害が出た、都内は広葉樹だからもっと被害が大きくなる、黄葉で目を楽しませてくれるのはうれしいが時期が来たら葉を散らせてほしいものだ、この年末は葉と歯に心配させられる。ハーァー。


  幾年も聖誕老しまう妻と我

2010年12月26日日曜日

手仕込ってどんな

駅のそばにライスカレーの連鎖店がある、そこの看板に手仕込み とんかつカレーの看板が出ていた。歯が問題なければ試してみるのだが、トンカツを手仕込みとはどう云う事かと興味が大いにあったのだ。
普通はトンカツは手で作るのではないのかな、連鎖店の本部では四つ割りにした豚を自動的に機械で肉に切ってパン粉をつけてフライヤーで連続してフライにしているのだろうか、それを今回は特別に店で調理し揚げていると云う事か、或いはとんかつカレーという袋に入れられた冷凍したトンカツとカレーソースを解凍して普通は提供していますが特別なんですよと云う事か理解に苦しむポスターであるが最近は理解に苦しませ脳トレをしてくれる事が増えている。
暇だとこんなことに関心が行くがトンカツは子供のころから好きでない。


  銀杏葉の木々美しき生誕日     七一翁

2010年12月25日土曜日

メリークリスマス

久しぶりにクリスマスイヴに教会へ行った、近所の商店街と連携したこともありかなりの方が来られていた。曲は同じだけれど歌詞が変わってしまった賛美歌を歌い言葉遣いが口語になった聖書の朗読があり、牧師さんが 共におられる神 と題して説教された。キリスト教徒であっても金持ちは貧しい人々を助けたりしなかったし、戦争をして殺し合いまでした。師の前任地沖縄では未だに基地問題が解決していない現実がある。しかしキリストはダビデ系統の人として人種差別され極めて貧しい両親の元で厩で生まれた、決して裕福な人のための神ではなく貧しい人の神でもあり皆に等しい神であると云ったようなお話しであった。
終わって帰路空を見たらオリオンが冴え金星と木星か定かでないが一段と光る星が見られた、きっと2010年前の夜空の星の数は数えきれないくらいだったが今見た星を羊飼いたちや当方の三博士は見た事だろうと思った。






 星冴えて生誕前夜人浮いて     七一翁

うめーかき



未だ柿が残っていて、もう白梅が咲いていた、実は紅梅も咲いていたのだが。
この柿は野鳥たちには今日も完熟せず旨くないのだろう、一度寒波が来たがそれ以来暖かい日が続き冬とは思えない。梅が咲くのも無理はないだろうが、このように大きな梅の木が花をつけるとは信じられないが養老院のビルとビルの間で南を向いているから非常に暖かいためだろう。




           写真は満開の白梅しかしメジロは来ていなかった。




 冬至ゆきかぼちゃ残り今朝の膳       七一翁

2010年12月24日金曜日

留守番

アパートは鍵をかけてしまえば戸締りが出来るので最近はよほど急ぎの注文した品物の配送を待つ以外に留守番をしなくなった、それゆえ正確に言うと抜歯後が気持ちが悪いので鳥見散歩から引き返したのだ。家人と娘は別々の用事で出かけてしまい一人きりで留守番もどきをしている。
鳥見の写真がないからパソコンでのお遊びも種が尽きたし週刊誌もガンの話以外は面白くないので飛ばし読みをしても読む処が無く飽きてしまった。
旅行の事で連絡しなければならないが休日はお孫さんのお相手だろうから遠慮し日の差し込む場所を移動しては居眠りしている。
まだ動けるからいいけれど外出出来ず何もすることが無かったら深刻な状況になる事を知り寒気がして来た。


写真は 水浴びするメジロ


  社会鍋人皆無視す銀座通       七一翁

2010年12月23日木曜日

抜歯

右二番目の永久歯の半分を抜歯し溜まっていた膿を排出した。医者様の話では思ってもいないほどひどい事になっていて骨まで影響を受けているがレントゲンでも予想がつかなかったが十年くらい前からの影響だそうだ。
問題はこの後始末をどうするのかでインプラント、入れ歯何にするかまで話し合っていない、原因は子の永久歯が虫歯になりpainと手を挙げる以外は何も通じない台湾の歯科で治療中に化膿した事に端を発しているのかもしれない、もう母国語以外で手術したり歯科治療はいやだ。


  抜歯後柚子染入りいて日暮れ直ぐ      七一翁

2010年12月22日水曜日

ソウシチョウ

特定外来生物で侵略100種にしていされている、きれいで可愛いと思われる向きもお出でだろうが日本に古来から生息している野鳥ではなく中国から輸入されていたものが放鳥され国内に広がったもののようだ。外国の動植物が日本国内で屋外に放されると敵が無い事が多くアメリカザリガニやブラックバスやブルーギルのようにたちまち広がってしまう。
ワカケホンセイインコもこれも群れを成して食べ物を食べるから在来種が圧倒されて食べられないと云う事も起きてくるのではないかと観察していて思った次第。


よりどりみどりのとりみ も更新しておりますのでご覧ください。


  柚子浮かべ湯に入る我は幾たびか      七一翁

2010年12月21日火曜日

これが全部なにだったら

10日ぶりで鳥見に公園へ出かけた、落葉広葉樹の葉が80%くらい落ちたのだろうふわふわした落ち葉の上を歩くのは気分が好い。
場所によっては踏み砕かれて粉末になったり、それが地面に踏み込まれていた、王子だったら例の権狐が頭の上に載せて現金化してくれるだろう、税収入が落ち込んでいて公約の大風呂敷が実現出来ない民主党にとって公園中の何兆枚もある木の葉でも現金になれば嘘八百が実現出来てちょうどよいだろう。
ボランティアの落ち葉掻きは公認の出店が出る広場周辺を掻いただけで例年通り一年かけて地面へ返すのだろう、鳥見やジョギング、犬の散歩の人々が粉砕に貢献する次第。


  木の影が長く伸びたり明日冬至    七一翁

2010年12月20日月曜日

不満


先日買ったニコンcoolpixP100のピントが甘いと感じるのでここから見えて写真に撮れる一番遠いところ
を撮ってみた。
今夜は旧暦11月15日の満月で空気が乾燥しきれいなfullmoonだった、公園の外灯にカメラをつけて
ブレを防いで条件を変えて撮ったがいずれも同じようだった。
640mmの望遠付きに誘惑されたが鳥も月もだめですね。

今日も外出

このところ昨日を除き連続して都心へ外出している、今日は赤坂見附方面だった、風は殆どなく日差しも時々あり冬らしい天候だったが外出には適していた。
写真の通り午後3時で6℃だった。
息子から結婚する事にしたので婚約を兼ねてお相手のご両親と会ってほしいと連絡が来て出かけた次第、先日会ったらまだ休日は勉強するから当分しないと言っていたが相手の方に失礼だからと婚約したようだ。未だ式の日取りは考えていないそうで息子の事だから式を挙げたり派手に披露宴をする積りも無いのであろう。


  濠水面落ち葉塞ぎて冬至来る    七一翁

2010年12月19日日曜日

印象派展の日本画家

日見た展覧会でくれたパンフレットのリストを見ると凄い人数の絵描きさんが1880年から1910年ころにかけてフランスへ出かけて行った。シスレー、アンリ・ルソー、マリーローランサンやクロードモネに混じって絵を描いていたのだ。ちょうど日露戦争前後の頃から絵を学びにフランスへ大勢の方が出かけていたとは知らなかった、リスト上でも40名を超える方々だ。
その絵描きさん達は今では名だたる人々だが絵方面においても海外の知識を吸収しようと燃えるエネルギーがあったのだ、多分絵具を買うために食事を抜いたりして頑張ったのだろうが今のこの国では外国へ勉強に行こうと意欲のある若者がいないとか、その時代の方々が聞いたら腰を抜かすだろう。
絵の方は印象派だけあって分かり易い絵でした。




 部屋奥へ日差し入込み冬さなか   七一翁

2010年12月18日土曜日

午後二時都心の気温

今日はセーヌの流れに沿って 印象派と日本人画家たちの旅 を都心の美術館へ見に行った。
東京駅八重洲口を出たところにある電光掲示の温度計で10℃だった、少し寒かったが風が無かったので苦にもならず美術館へ行き印象派の絵を見て築地まで歩いて行ったら汗をかいてしまった。
暮れの都心は銀杏並木が黄葉し散りかけて、或るところでは落ち葉掃きをしていたから風が少し強く吹けば全て散るだろう。
昨日行ったお濠端の銀杏並木も同じ状態だったから都心はクリスマス頃には散ってしまうだろう、最後のもみじ見物をする人は急いだほうがよいだろう。


  どこ見てもサンタいまして銀座道     七一翁

2010年12月17日金曜日

茶壺

茶陶の道 天目と呉州赤絵という展覧会へ行った。
宋時代福建陶磁、福建天目、輸出された福建青磁、呉州赤絵などの茶碗、皿、鉢、花瓶などがずらりと並び、中には国宝ものなどが出展されていた。

その中でいかにも日本らしいと思ったのが唐物茶陶と呼ばれた茶を入れて輸入した茶色の壺だ、会場の説明によると品物を出したこの空き壺に美意識という間興味を持ったのは日本人しかいないそうだ。しかも家康、前田家、黒田家などが持っていた名品があるのだ、検索をかけたら2点ほど出て来て
写真のものは前田家伝来だったそうだ。(google よりcopy)
僕にはただの種やお茶が入っていた壺、それをピカピカに磨いて蓋を象牙などで作って付加価値を付けただけで大騒ぎするほどの事もないと思うが見る目が違うとすごいお宝になるから不思議だ。
戦時中の瀬戸物で作った尿瓶や湯たんぽも価値が出てくるだろうから持っている人は大事にしたら好い。

濠端の公孫樹枯れずサンタ居て     七一翁


2010年12月16日木曜日

俳句

最近、この一番下に五七五の自分とすれば俳句、人様が見ればテレビでやっている575(ごしちご)と同じだと云われてる様ですね、それはどうでもかまわないのだが一応季語を入れて作っているつもり。
週刊朝日で山藤章二さんが昭和を代表する句が無いと思うと氏の似顔絵塾に書かれていたが、物凄く大勢の方が発句され同人誌以外にも新聞雑誌など投句する場所が多い時代に、どう選ぶかだが簡単には選びきれないだろう。
僕は骨骨が昭和天皇誕生日に生まれた事もありみどりの日と呼ばれた時期、つまり崩御間もなくの時期に作った 緑濃く昭和は未だ指呼の間 がいいと思っている。


 暮れ来ても洟すすり行く歯科医かな     七一翁

2010年12月15日水曜日

柑橘類が豊作

この近辺で今年は武蔵野名物の堅果は全くと言っていいほど不作、幼稚園の子供たちがドングリ拾いに苦労するほどだった、逆に柑橘類は当たり年らしくご近所のどのお庭のレモン、夏みかん、柚子の木は見事に立派な実をつけている。
異常気象の高温が福となり立派な実がつけられたのだろうか、聞くところでは近年の温暖化は南の地域の農業に影響を与え稲でさえ適さなくなったと新聞で読んだ。
先を読む山形県のさくらんぼ農家が北海道で木を植え始めたそうだ、ミカンが東北名産となりバナナやマンゴーが九州で露地栽培で収穫出来るという話しがまんざら与太話で無くなるかもしれない。
話しは飛んだが豊作のおかげでご近所から冬至のお風呂にどうぞとたくさんの柚子を頂いている、この写真のオレンジはナツカンとバレンシアオレンジの混血みたいだが豊作のおすそ分けです。






  金色の柚子たわわに生りて陽短し      七一翁

2010年12月14日火曜日

僕が働いた場所


郡山の工場が閉鎖されると福島の新聞に載っていましたよとmailを貰った。
これで会社で働いていた事業所で本社と研究所を除くと全て無くなってしまう、新宿、郡山、中頓別、山形、郡山の工場で働いて来たがその最後の一つが消え失せてしまうとなると研究所と本社、海外での20数年以外の証しと云うか汗と涙の記録が存在しなくなる。


特に郡山は麦畑と野原を整地し日本で最初のコンピューターによるオートメーショーン工場というふれ込みで建設し工場が出来て行くところから見ていたし、東京オリンピックの開会式の日に試運転をしたり初めての自動化機器が巧く動かない経緯も鮮明に覚えているので特に思い入れがある。


牛を飼う人が少なくなり原料不足で工場があっても稼働出来ないのだろうし外国から買った方が安いからと理由は分かるが、杜甫の春望じゃないけれど国破山河在がひたひたと迫っている気がmailを読んで改めてした。




 銀杏を踏み潰してや人通り    七一翁

2010年12月13日月曜日

喪中の通知

私も生まれて三回目の喪中通知を友人知人へ差し上げた、また何通かの喪中通知を頂いた。
僕の年齢が年齢だけに下さった方の文面を見ると九十数歳で親御さんが亡くなったと書かれている。凄いご高齢だ(我が家もだが)、ほとんど百歳近い方が多数おいででした、僕からすればこれから30年近く生きる事になるのだ。これから生き延びれると仮定して、どのように生き切ればよいのか考えると頭が痛くなるし、最近の借金国情から考えて果たして生かしておいてもらえれるのかさえ疑問になってくる。
年金も無くなるだろうし世界一貧乏国に成り下がりボロをまとって物乞いしている姿が目に浮かんでくる、長生きが悪い時代が来るのではないかとハガキのお年を見てふと思った。


  
やがて去る手と見比べて紅葉かな    七一翁

2010年12月12日日曜日

一週間後の柿木

12日に野鳥と柿の実について書いたが、写真を撮った柿木がどうなったか見に行って来た。
実が一個残っているだけででヘタが枝に残されていた、じつは付近には先週同じように野鳥が来ていた木があったが数個残され、その一個にスズメが来ていた。
その付近にもう一本かなり実を付けたが木があるが未だ柿の実食堂にならず冬の午後の日に輝いていた。年が明けるまでに食べられてしまうのか見守っていきたい。
東北の各地から関東を見てみると柿の実を取り入れる家が少なくなったものだ、高齢化や離農が農村部ではあるだろうが都市部では何故だろう。




さざんかの花振り撒いてメジロ去り   七一翁

2010年12月11日土曜日

紅葉の盛り

公園のモミジが紅葉の盛りを迎えどの木もきれいな色をしている、それに反しケヤキやドングリなどは
靴が埋まるほどの落ち葉を公園にまき散らし人通りの多いところはやっと落ち葉掻きの目途がついたところだが、それ以外の場所はこのまま放置され踏み砕かれて土へ返って行くのだろう、公園中の落ち葉を集めたら、どれくらいの量になるのか想像がつかない。袋に詰めたあの落ち葉を何処へ集積しているのか、直接焼却場へ運んでしまうのか紅葉が黄葉がきれいだとほめそやしている裏には落ち葉になったら掃除する、袋詰めするなど裏方の仕事があるのだ、それを奉仕作業してくれる人がいて公園が維持されているのだ、鳥見をさせてもらっている立場からはただ感謝あるのみ。


 歳末の店飾り揺れ寂しげに      七一翁

2010年12月10日金曜日

このような鳥見かけませんか その2

 これはルリビタキ♂で瑠璃色がとてもきれいな個体に今日お目にかかれました、久しぶりに見るきれいな色をしていました。自然の力はすごい、このような色を生物に持たせるのだから。
この野鳥も冬の鳥で夏場山間部で繁殖し冬は里へ下りて来てジョウビタキに似た環境におり公園などで野鳥に注意し目線近くの灌木などで見られ今日はジョウビタキと居場所をめぐって争っていた。                                                    
 
冬枯れの梅林日射し瑠璃光り  七一翁

よりどりみどりのとりみ ご参照ください。

2010年12月9日木曜日

このような鳥を見かけませんか

写真は冬の渡り鳥ジョウビタキで♂です、この鳥は紋付と呼ばれ背中は黒くて人の肘辺りの羽毛に白斑があります。我が家付近でも昨冬は見られました、今自分は南に面した比較的広い庭や畑の目立つ支柱や枝に止まり未だヒッヒッカッカと縄張り宣言をしているはずです。
メスも紋はありますが地味な色で目立ちませんが数は多いような気がします、11月6日の「よりどりみどり」に写真があります。
柿の木に来ているメジロやヒヨドリだけでなくお宅の庭やベランダに種々の鳥が来ている事があります、特に郊外では多いと思います。知らない間にピラカンサス、マンリョウ、ナンテンなどの赤い実が無くなっているのは早朝にご飯となっている事が多いのです。
公園を昼間通る時でも周囲を少し見回すとスズメ以外の野鳥が見られますのでお試しあれ。




   賀状売る声のむなしく夕の駅     七一翁

2010年12月8日水曜日

ドガ

平塚の画伯を誘いドガ展へ出かけた、月曜の午前早くというのに公共放送主催で繰り返し宣伝しているだけあり大勢のご年配の婦人たちがお出でだった。
ドガの印象派前の自画像などから始まり年代順に多くの炭で描いた習作と油彩、パステル、エッチング、ブロンズが展示され、今回の目玉のエトワールがパステル画で陳列されていた、僕はこれを油彩画だと思っていたが違った。何枚も踊り子の同じような作品が展示されていたから油彩のもあるかもしれない。
銀行家の裕福な生まれと紹介されていたが色使いがどうも薄暗くて僕の好みに合わないし、どうも習作をたくさん見せてくれたが一枚の大作を仕上げる前に部分を書いてみたり構図を決めるためなのだろうが、欲を言えば完成作品と並行して見せて欲しかった。


  悩みないかもめ集いて冬温し   七一翁

2010年12月7日火曜日

出前

いまテレビから聞こえてきた言葉、ハンバガーの店が宅配をやるというニュース、なぜ日本には昔から
調理した食品を配達する事を出前するという言葉があるのにわざわざ食品の配達に宅配と言わなければならないのだろうか。
駅前の寿司屋や蕎麦屋では迅速出前しますとか出来ますと書かれている、このような言葉が無いならいざ知らず新しい言葉を使ってもよいが死語をまたもや作らないでほしい。
このような事を思う我は年取りすぎたのかな、それともおかしいのかな。


 江戸前のもみじ浮かべて神田川    七一翁

2010年12月6日月曜日

主よあなたの所までが

この最近、日曜学校以来半世紀以上振りに教会へ何となく行ってみようと思いHevenさんから紹介され踏み切りの向こう側にある教会へ通いだした。こじんまりした教会で信者が30数名、会堂は建て替えられて新しい、備え付けの聖書や賛美歌も建替えを記念して新しくされたと裏表紙に書かれている。


この新しいのは気持ちがよいのだが聖書の言葉も新しく口語になり僕の記憶している主の言葉が変わっているし、賛美歌もそうで今朝も「諸人こぞりて」を歌ったのだが、まさか歌詞が変わっているとは思わず暗記している歌詞で歌っていたら、どうも違うので慌てて賛美歌を見たら黒金の扉を打ち破るはずが破らないのだ。


主よ世の中の色々な事が変わっております、久しぶりにあなたの御前にお訪ねしましたら「初めに言葉ありき神の言葉であった」というヨハネ伝福音書の第一章一節も変わっておりました。主の所まで変わってしまい戸惑いを覚えております。


  蝋燭が二本灯されアドベント     七一翁

2010年12月5日日曜日

柿と野鳥



諸処で柿が熟れ出した、一番よく知っているのは野鳥たちで熟れた物から順番に食べて行く、同じ実をスズメ、メジロ、ヒヨドリが食べる。隣の木が鈴なりでも絶対に食べない、年が明けてやっと食べる柿の木があるが餌が無い時だけに何十個となっているのを二日くらいで食べきってしまう。
熟れて来たと感じるセンサーはどのようなものだろう?選果場では赤外線とか超音波だとかで熟れ具合を選別しているらしいが野鳥のセンサーが実用化できたら誤差ナシだろう。


 人出来ず熟れ柿食べる目白かな    七一翁

2010年12月4日土曜日

左側だけで噛め

右の大臼歯の歯茎が化膿し歯科医へ行った、歯の両側の歯茎を切開し被せてあった金属に孔を開けて何か処置し合成樹脂で覆った。抗生物質を三日分投薬し一週間後に行ったら又何かドリルで掘削し、又一週間後に来いと言われて先日行って来た。
先生はえらいご立腹で詰めたところが外れている、私はあなたが治そうとしているのをお手伝いしているだけだから貴方ご自身に治そうという気持ちがなければ治らない、右側で噛むな左側だけと申し上げたはずだと叱られてしまった。
左だけで噛めと言われても少しは右へ行ってしまう、不器用なのか口へ入れる量が多すぎるのか上手くいかない。
今朝見たら又歯茎に小さな化膿と思われるニキビみたいなものが出来て少し痛む、また右側をで噛んだからだと言われてしまうのか来週火曜日までに治ってほしいものだ。


 写真は公園へ飛来したユリカモメ


 厚き落ち葉掻く人群れて甲斐もなく    七十一翁
 
 公園で一面厚く積もった落ち葉をボランティアの人たちが雪掻きのように掻くが
 少し風が吹くと地面を隠す落ち葉
  

2010年12月3日金曜日

ウグイス

今ウグイスは活発に行動している、住宅街の生垣や庭木の潅木や植え込みを
頻りにもぐりこみ餌を探している、地鳴きでチッチッと声がして何か小鳥が動いているのに気づいたら静かに見ていると写真のような地味な色したスズメの2/3くらいの尾の少し長い小鳥が少しもじっと擦ることなく動きまわっているだろう。それがウグイスで春になるとホーホケキョと鳴き出し子育てのために里山の方へ行ってしまうが、中には行かないで留まっている個体もある。
チッチッと鳴いている小鳥を見たら注目して見て下さい。




現在十二月乗客居眠る渋谷行     七十一翁


いましはすきゃくいねむるしぶやゆき


2010年12月2日木曜日

僕のblog

ブログを書き込むページを開くと統計と云う欄がある、今まで気にもしていなかったが、最近クリックしてみたら僕のページを見に来てくださった方の人数、来られた時間、国、どのルートで来られたかなどが分かるのだ。
驚いたことにどの国から来られれたかを見ると日本が圧倒的だが台湾、米国、マレーシア、フィンランド、ルクセンブルグからで週に何回も来て下さっている、嬉しいことです。
ルートはmixi経由が殆どですがgoole,yahoo、livedoorなどからもあります、そして一日に50回位見てくださっており時間帯や曜日、注目題目なども分かるようになっています。
これはblogに広告を出すための資料にしているようですが、英語の詳細な説明を読めないので分かりません。
これからもどうぞご贔屓に。


写真は魚を捕り食べようとしている瞬間です。


 うぐいすの啼くや十二月の朔に    七十一翁
(うぐいすの なくや しはすの ついたちに)

2010年12月1日水曜日

貴女もそう思う

区の友愛会館から僕よりご年配と思われるご婦人が大勢出てこられ僕の前を歩き出した。大きな声で会話されているので人通りのない住宅街だからいやでも話しが聞こえてくる。
もう今年も年末ねぇー、私たちは関係ないようだけれど家族がそわそわして忙しそうだと私まで忙しい気持ちになってしまうのよ。
何もする事もないしやっても出来ないのだけど気分がそうなっちゃってねーと喋りかけている、話し相手のお婆様が一段大きな声で貴女もそう思ってなのね、私もそう感じているのよ、これから益々気ぜわしくなるから厭になっちゃうわねと繰り返していた。
僕は仕事の関係上、年末年始は忙しかったが気ぜわしいと思ったことはなかった、鈍感だったのかな。


  ウグイスの啼くやもみじ葉落ちる午後     七十一翁