2011年8月19日金曜日

もう直ぐ秋ですね

国境のトンネルを抜けるとそこは秋だったと思わせるほど雨がもたらした涼しさ、ポロシャツ一枚では
涼しいほどだ、猛烈な雨が何処に降ったのかは知らないが少し強めの雨が半日降ったが川の水量をネットで見ていたが極端な変化が無かったのでよかった。
この涼しさが続いてくれると野鳥も渡りの準備のため山から下ってくるだろう、しかし雨が何日も続くのはごめんだ、稲が田圃で腐ってしまう。
乾燥した空気の青空、秋の雲が浮かんだ空になって欲しいが、未だ少し早いか。






 夏終わる知らせの雨か


http://numa371.blogspot.com/ へ転居しました。

移転します

昨日写真が掲載されなかった原因は 無料で使っていたblogの容量がいっぱいになり有料と
なるためでした。


改めてメールアドレスを取り夢酔独言(巻二)を作りました、お目を汚しますが、よろしければ


下記 アドレスが移転先です。


 www.numa373.blogspot.com/




I've changed my blog address to above 、so please change to new bookmark.

2011年8月18日木曜日

お茶の間


現在お茶の間があるお宅がどれくらいあるだろうか、戸山が原に団地が建設された時に台所で食事をするリビングが開発され一部屋減らす事が出来たし洋式生活が出来ると喜ばれたそうだ。いつの間にかこの様式が取り込まれお茶の間のあるお宅が殆ど無くなった。
部屋の真ん中に卓袱台がある四畳半に茶箪笥や水屋があり家族が食卓を囲んだ、最近でもテレビではお茶の間でご覧の皆様という、特に聴視料金の必要な局ではふるさとのお茶の間でとつい最近も聞いたが全国でお茶の間で食事をされテレビを見ている家族はどれ位おいでだろうか。

 微かでもそよ風吹かず月を待ち    枯沼

多分,Googleの不調で写真が掲載出来ませんしフォントも変更出来ません。

2011年8月17日水曜日

ひさしぶりのビアーガーデン

何年ぶりかで唯一現存する新宿駅ビル屋上のビアーガーデンへ行った。未だくれず生ぬるい風が吹く屋上には昔のようにハワイアンバンドなどは無く、ただビールを飲ませて冷凍食品の解凍品を食べさせる昔と少し趣が違う。それでもこの暑さだ、瞬く間に席が埋まりビールが運ばれてゆく。久しぶりに外で飲むビールは心地よく五臓六腑に回った。
数年前に来た時はパリッとしたピザだったが、今回は解凍しガスバーナーで表面を焦がしたピザもどきで全てが合理化されている、しかし冷たいビールは美味いが医者様の言いつけで沢山飲めないのが遺憾な夕方でした。


十六夜の月低くあり生ビール    枯沼


2011年8月16日火曜日

森のbar 2

 幹から樹液を出しているコナラ、クヌギなど昆虫が樹液やその醗酵液を吸いに来ている。雑木林で微かに醗酵臭がしていたらしめたもので臭いの元へ行ってみるべきだ。
カナブンのような甲虫、チョウが黄色い細い吹管を出して飲んでいたりギャングがbarを荒らしに来ている。
カブトムシやクワガタを採りたい方は薄めた蜂蜜液を樹液付近に塗るか桃の種に果肉を残して、或いは完熟の臭いのきついバナナをペットボトルの底を切り取り入れておきます。
昼間仕掛けて夜間或いは早朝見に行くと何かしら入っているはずです。カブトムシもクワガタもメスも来ますから、これは放してください。
人知れずの場所を探さないと全部取られてしまう可能性がありますからご注意を。何箇所か仕掛けておくと面白いですよ、珍しいチョウが来ている場合もあります。
お孫さんへおじいちゃん、おばあちゃんは凄いと思われますよ。


黄色い口(ストローみたい)


アカボシゴマダラ 外国産を放中したため広がった。
スズメバチ




飛んで入る灯探し求めて夏の虫    枯沼


2011年8月15日月曜日

66年前も暑かった

毎年終戦記念日の今日は当日も晴れて暑かった、敵機が低空で乱舞していたと書き込んでいるはずだ。
滋賀県の日野と水口の間にある村に疎開していた、日野はご存知近江商人発祥の地で節約節約・・・・全て節約の精神、これだから大会社を築けたのが肯ける、梅干を一個小皿に取り見て三膳、舐めて何膳、タネをしゃぶって三膳と薄いお粥を啜っていた。
先祖の地に住んでいながら田圃も畑も取り上げられ無かったからひもじい思いをした、僕の今でも食べ物にがつがつしているのは、この時に浸み込んだのだろう三つ子の魂百までというから消えない。
今夜から空襲が無いし日本が負けて戦争が終わったと聞かされ嬉しかったのも覚えている。


桃が来て友の郷でも元気知る   枯沼



2011年8月14日日曜日

くちなわ

ヒグラシが恰もカナ変換だよと連呼しているような蝉時雨だ、先ほどまでの高温注意報が嘘のような夕闇迫る上水をミズヒキを探して歩いている。
夏草が伸びて来て上水らしい光景になっておりフェンスを見ると細いアオダイショウがいる、未だ子供だろうかじっとして動かない。野鳥の雛や卵を狙っているのを見かけるがネズミも退治してくれる優れものだから触らずにおく。
自然が不要と言われる道路が出来るため破壊されかけておりヘビも来年くらいには見られなくなるだろう、周囲の家でネズミが増えたと言い出すかもしれない。
肝心のミズキはこのような結果となりました。


カナ文字を勧める蝉のもう日暮れ    枯沼


2011年8月13日土曜日

いましたキイトトンボ

高温注意報が出ている最中馬鹿みたいだと非難ごうごう、それを聞こえぬ振りして池や水溜りを巡りて幾炎天下、やっと都内某所でほんの数秒でしたがキイトトンボと遭遇出来ました。
なぜか長い腹を伸ばしたり縮めたり落ち着きがありません、写真を撮りたいのですが被写体が動いているので連写でやっと一枚何とか見られる姿がありました。
都内で絶滅が叫ばれている小さな生き物、区内にあった生息地はマンション群建設で無くなってしまった、実に惜しい事をした。
訂正キイロイトトンボはキイトトンボの誤りでした。
寺の池蜻蛉飛び交う盆中日     枯沼

使わなかった辞書機能



先日清酒は何が好きかの話しになりダツサイと言われた方がいた、僕も好きな山陰の酒です。
獺祭と書くのですが僕が知ったかぶりをして けもの偏に頼です と言った。ある方が携帯電話を取り出し辞書で調べてけもの偏に賴と分かった。


話しが長くなったが僕はそれまで携帯電話の辞書機能を使うことを全く気付かなかった。僕のはボタンで機能が呼び出せることをその時に知り試してみた。極めて簡単な英和、和英、国語の辞書がついていた、そういえば電車の中で携帯電話で何か打ち込んで教科書に書き込んでいる若い人を見かけるが、この辞書で登校前の下調べをしていたのだ。
僕が携帯電話で辞書を使うことが今後何回あるだろうかとふと思った。


かわうその祭り見て来よ瀬田のおく  芭蕉


バイク乗る僧の衣も忙しげ       枯沼

2011年8月12日金曜日

稲が開花

今年は夏の一部が暑いから春先はどうだったか忘れているだろう、3月11日の震災の日は小雪がちらついていたし四月になっても寒くてツバメの到着が遅れてやきもきしたし梅雨が早く来た。
その影響は稲に出ている様で開花したが花が少ないとか、そうなると実である米の収量が少なくなってしまう。東北と新潟の米は地震と大水害で当てに出来ないとなると旨い酒が出来なくなりはしないかと心配になった。早すぎるかもしれないがふとそう思いました、この田圃は心無い人が逃がしたアメリカザリガニが繁殖し土手に穴を開けて田の水を流してしまうので干上がっていました。
ザリガニを逃がしたから良いことをしたと思っているだろうが大勢の人が穴を探して塞ぐ事に終始して
いるのです。慈悲の心も考えないと自費で腰痛の医者へ行くボランティアが増えているそうな。




稲咲いて一区切り来た盂蘭盆会        


2011年8月11日木曜日

悩む季節が来た


上水の道路際にミズヒキが咲き始めた、長くやや弓なりの細い茎に一定間隔で花がついている、これをジャスピンで撮ろうと毎年試しているが成功した例がない。多分今頃になるとぼやきを書き込んでいるだろう。弓なりに軽く曲がっているから先端から根元についている紅い花を全てきちんとピントを僕のレンズでは無理なんだろうと思い比較的幅広く撮れるデジカメを携えていき撮ってみたが因って件の如しだ。もう少し秋が深くなり群がって咲いているところを見つけてマクロのレンズを付けて撮ればジャスピンで満足出来るかもしれない。それにはマクロレンズを入手しなければならないのだ、それが一番問題だ。


 パラパラとゴロゴロのみで雷雨来ず       枯沼

2011年8月10日水曜日

花より団子

午前中涼しいうちに出かけたつもりだったが外は35℃、干物になりそうだったが山種美術館へ日本画どうぶつえん と銘する所蔵の動物の絵だけの展覧会を見に行ってきた。
館へ入ると大理石の壁と床にアンモナイトなどの化石があるではないか、心此処にあらずの状態となり普段見たくて見られない名作が展示されいるのだが大理石の壁や床のあるところ全て見て回った。あるはあるは薄暗くてよく見えない場所に限り大きな鮮明な化石がある。受付の人に話しをすると、そうなんです見難い所ほどありますと笑いながらパンフレットを探し出してくれた、時々僕みたいなのがいて質問するそうだ。ジュラ・イエロウというドイツバイエルン地方の石材で1億8000万年前(ジュラ前期)のアンモナイトだそうだ。


展覧会はさすが一流画家で動物の特徴をよく捉えていたが川端龍子氏の黒潮と題するトビウオの群れが圧巻、鳥では横山大観氏のハッカを描いたものが墨絵で特徴を上手く表現していた。
当たり前だが餅は餅屋だ。
http://www.yamatane-museum.jp/exh/current.html


夏戻り行く先かしこよく冷えて     枯沼

2011年8月9日火曜日

久しぶりに見た花

先祖から受け継いだのであろう一族の墓地まで畑の隅にある農家、といっても小学校の校庭より狭い畑だから兼業であろう。その畑の一部にゴマの花を見つけた。実に久しぶりだ、子供の頃に我が家でも植えていたのか近所にあったのか定かではないがゴマと教えられて以来見ていないのではないだろうか。東北勤務の時に刈り取り脱穀した生のゴマを見たことがある、多分カラーテレビが放送され始めた頃だから半世紀前かな。あの頃は自宅で何でも栽培していた農家が多かったから珍しいものではなかった、大豆だってよく燃えるから豆がらを焚いて五右衛門風呂を沸かす家が多かった。
少し早いのか天候のせいか特徴のある莢は未だ見られなかった、脱穀し夾雑物を取り除いて黒いゴマ粒だけに仕上げるのは手間のかかる作業のようだった。




 秋立ちて星流れるを数えおり                 枯沼

2011年8月8日月曜日

明日は長崎原爆忌

この建物はよく映画で大学や病院に使われる老人研究所の建物で、僕が鳥見に来たと書く老人施設はここです、まさかここが原爆を搭載したB-29を察知し報告にも拘らず空襲警報さえ出さなかった参謀本部の出先で、出すよう要請し返事も貰えず悔しい思いをした人々がいた場所とは知らなかった。
実は広島原爆忌の夜に見たテレビ番組でこの場所の事や原爆投下の経緯を知ったが新型爆弾を認めたくなかったそうだが国民を何と考えていたのだろうか。
暗号通信傍受から新手の攻撃があると推測し追いかけていた現場の軍人は凄い、今流に言えばCoolだ。長崎の場合はテニアン島発進からコードネームで分かって追いかけていたのだから、この建物の中でさぞ悔しかったでしょうし被害を聞いて落胆した事でしょう。


赤黄色カンナ乱れて原爆忌





2011年8月7日日曜日

いました亜細亜号

ユズにいたナミアゲハの幼虫、これらアゲハチョウの終冷幼虫を見ると子供の頃に憧れてブリキ製の玩具をねだったほどの南満州鉄道の亜細亜号を思い出す。現在の新幹線と同じ線路幅で蒸気機関車で時速100kmを越える驚異的速度で走っていた蒸気機関車だ、テレビがあった訳でなし映画館へニュース映画を見に行ったわけでもないが童心に心を弾ませたのは何を見たのだろう。
先日中国東北部で保存されているのを紹介していたが往時のかっこよさは塗装の悪さから見られなかったが動輪の大きいのに改めて驚嘆した。
写真の幼虫は亜細亜号のように早く動き回らないが正面から見るとそっくりだと僕は思うのだ。




 夏の陽に葉を平らげてアゲハ化す    枯沼

2011年8月6日土曜日

またセミの話し

雨が続き少し離れた公園へ行かなかったら地面に蟹穴みたいな穴がそこらじゅうに開いている。
セミが羽化するため土中から這い出した穴だ。付近には抜け殻も穴と同数くらい見られるが、しかし相変わらずセミの鳴く声がしない。不思議な事にアブラゼミの成虫の死骸が五匹くらい落ちていた、狭い公園内で真夏に五匹は多すぎると思う、カラスに食われたりして死骸の一部ではないし五体満足なのだ。どうして死んだのだろう何か流行り病でもあるのだろうか。


寂しさや鳴くセミ少し秋が来て    枯沼

2011年8月5日金曜日

医者様の夏休み

6月くらいから恒例の夏休みの予告が各待合室や薬局に貼りだされていたが、その日がやってくる。
以前は月遅れのお盆の週だったが旅行など込み合うせいか医者様で日時と長さが異なり服用したり点眼薬の心配をしなければならない週となった。
月の後半に定期通院しているが夏休みとかち合う事になり安全を見た薬の量を確認し各医者様へ処方して貰いに出かけている。
患者の皆さんが同じ思いのため込んでいると薬局の情報、一番早い眼科は来週後半から10日間のためドライアイの点眼薬3本の処方のため2時間待って診察し書いてもらった、前立腺は一時間待ちを覚悟して出かけたら3人しかいなかった。
どの医師も多めに処方してくれたのだが最近は渋っているし栄養剤は間違っても処方してくれない、どうも区役所から厳しいチェックが入っているようだ。
写真は青花花卉双鳥文輪花皿  中国明朝 永楽年代 景徳鎮窯(絵葉書から)


井戸見ると西瓜冷やした懐かしさ   枯沼

2011年8月4日木曜日

今日の天気

11時に歯科を出たとき僅かに雨が降っていたのが急に土砂降りとなり折りたたみの傘では間に合わず、又足元は水が溜まり車は水を跳ねて走るので逃げ場を捜さねばならず難儀した。
雲の動きと風から東から天気が変わっていくようなので帰宅し東京アメッシュで雲の動きを見てみるとやはり東から西だ、今も買い物を頼まれアメッシュを確認すると東から西へ雨の塊が移動していた。
地球の回転により西から変わると言われているが気圧配置の因っては東から西へ雨の塊が移動する事もあるのだ、しかし年にそうはないだろうから小学生だったら夏休みの理科の観察日記になるところだ。
写真は空き家の伸び放題の柚子の木


 そうめんの薬味にしたき柚子なれど   枯沼

サルスベリ

サルスベリは百日紅と漢字で書く、中国語の表記でつまり百日のように長い間赤い花を次々と咲かせ続けるという意味だそうだ、サルスベリは日本へ中国から入ってどれくらい経過してかは知らないが猿が滑って登れないような幹だと幹を見た感じから名付けられたようだ。
白い花もあるが真夏の道を歩いているとサルスベリの赤い花が塀からはみ出して見えるとなぜかしらほっとする。この時期少し地味だがキョウチクトウ(夾竹桃)という真夏の道路の端や運動場で耐えている花もある、街路樹に花が少ない時期にもってこいだ。モンキースリップとバンブーサンドウィッチドピーチは夏の盛りの花ですね。


 待つほどに水にじみ出る冷奴    枯沼

2011年8月3日水曜日

本降りになって出て行く雨宿り

今日は明朝、清朝時代の焼き物を見に行ってきた。テレビでこれと同じものが美術館にあったのでこれは本物間違いないと欲の皮が突っ張った方がおっしゃる本物だ。
展示されている124点全て美術館所蔵の景徳鎮官窯と民窯のもので、よく細かい作業をしたとか精緻に描き込まれた模様に感心させられます。国営で王様のために作っているのだから時間をかけて根気よく描いていけばよいのだろうが技術力と巧みさに驚かされました。
 写真は
今朝出るときにわか雨が何処で降るか分からないから傘を持ての予報だったが正午に美術館を出たらぽつぽつと来て我が家付近へ来ると本降りだった、銀座の横丁でちょうど川柳みたいな方々がおいでだったのでパチリとさせてもらった。


朝顔が季節違うと身震いし  枯沼      

2011年8月2日火曜日

嫌な天気

先の台風が迷走し開けた筈の梅雨を東北地方へ引き戻した状態にしてしまった。
それ以来涼しいのは良いが太陽が何処かへ行ってしまい嫌な天気が続いている、今日も晴れるかと思ったら曇りで雨が降るというので不急の外出を控えたが雨は降らない、電力不足で困っている政府と電力会社にはよいかもしれないが十日以上も真夏が消えてしまい逆にストレスだ。
真夏はやはり青空に入道雲が沸き立ちセミがうるさい晴天が僕は好きだ、あの35℃を越えた異常な夏は望まないがせめて30℃くらいの晴れの日が恋しい。
遠くからひときわ目立つ百日紅     枯沼

2011年8月1日月曜日

今日の散歩

涼しいので午後から荻外荘周辺の公園へ散歩した。
周辺には写真の大田黒(元雄氏)公園や角川公園と荻外荘がありいずれも大きなお屋敷で荻外荘はご子孫がお住まいのため写真は遠慮したが近衛文麿首相が住まわれていた頃の付近は屋敷が並んでいただろう、現在はマンションや銀行の家族寮やその駐車場になっているが残っているお宅の庭木の太さ、石垣と塀の様子から類推すると当時は豪勢な邸宅が広い敷地の中にあったのだろう。
大田黒さんが公園にと寄贈したカワセミが来る池のある庭は8900㎡で所有した土地の一部だそうだから推して知るべし、荻外荘は通りから見るともっと広いらしいが公開されていないので不明です。
角川公園は次回行く事にしてレンズを見に行ってしまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E9%BB%92%E5%85%AC%E5%9C%92

やはり好し涼しい林せみ時雨    枯沼