2011年1月31日月曜日

録画テレビ

最近テレビを見る機会が増えた、何処も経費削減で費用が掛からない旅行や紀行や記録番組が増えて私の好みとあうからだ。
これらの番組がかち合う時は録画することにしている、録画だから削除しない限り残るので再度観られるメリットがあり、宣伝を早送りで飛ばす事も出来て便利。しかし再度観てみると見た事のない場面が出てくることが度々あり最初の頃は驚いていた、原因は最初観たときに途中、途中で眠り込んでいるためだと分かった、ひどい時は半分も見ていない。
勘違いするのがただ今地震がありましたと過去の警報が出る事だ、この警報を見て他局へ切り替えたりして録画と気づく。


 芹もありみどり色濃き担ぎ売り     七一翁

2011年1月30日日曜日

有る処には有る

有る人には実に有るものだ、才能、才覚、知恵、体力、学力など小学校時代から全く縁が無いというか努力してもついて来ないし持っている人を羨ましくさえ思った。
一人の人で全て持つ人は少なく、特に才能は芸術、運動などでは絵画もうまいし音楽も秀逸という人は少ないが全てダメという立場に僕がいた。
この年になっても歌を人並みに、絵を誰が見てもリンゴと見える絵を描ければと思う、過去には二日徹夜しても平気だし一日飯を食わなくても何ともない強靭な体の持ち主を羨ましいと感じた。
最後に金も有る処に有るがまともな勤め人で羨ましがられる金が出来る訳が無いから羨ましいとは思わない、才覚のある方や知恵で儲けた方は別だが。


写真は公園の落ち葉をかき回して落ちている実を食べるカワラヒワの群、有る処には有るもので落ち葉の下には木の実が沢山落ちている。キジバト、ツグミ、シロハラ、アオジ、トラツグミなどが公園中の落ち葉をめくっては餌を探している。


 鳥の鳴く声変わり来て春はそこ     七一翁





2011年1月29日土曜日

言いたかないけれど

公園は各所で穿り返したり木を切ったり石畳を剥がしたり柵を新しくしている。
年度末が近くなると工事が急ピッチで始まります、聞くところでは予算が余り使い切る為とか、工事をやって良くなったり改良された試しはないし鳥見にとっては一斉に作業を始め普段立ち入り禁止の森や林に人、ユンポ、トラックが入るから鳥が驚いてこない。


四月に予算が決まり次第工事が始められるよう前年度に準備し、公園の工事だから植物を抜いたり植えたりが付き物、この乾燥し寒い時期に冬眠している植栽を抜いて枯れたから新たに植えるが冬眠休眠しているから発根せず再び枯れる。これを無駄と云い、分かってやる族を無柵じゃなく公園でも無策と都税納税者は言う。


写真は急制動をかけて着水しているカワウ


  花散らし蜜吸いまわるメジロ群      七一翁

2011年1月28日金曜日

フンではすまなくなりそう

S師によると伊丹のため池のカイツブリから鳥インフルのウイルスが見つかったとの事。
渡りをしない水鳥から見つかると云う事は接触した水鳥のどれかがウイルスを持っていて感染したことになる。そうなると容易に感染する機会があると云う事で鳥見をする僕は普段でも鳥の糞を踏まないようにしてきたが、それだけでは済まなくなってきそうだ。以前鳥に感染が流行した時は人間にもと云う事で予防体制を布いたりした業界もあり、私も娘から鳥見に行くのをやめるよう頼まれた。
万が一、社員と家族で感染が出たら隔離されるので協力してほしいという訳だ、電力、ガス、石油、水道などの現業従業員が大勢感染し操業出来なくなったら国の存亡にも影響してくる。今朝のニュースではカモの糞にウイルスが濃厚に存在し、それを踏んだ鳥、動物、人間の足につき各地へばら撒いていく仕組みだそうだ、そうなるとたかが鳥のフンでは済まされなくなるというものだ。




 踊り子が揃い並びて春浅し     七一翁

2011年1月27日木曜日

催促しないと届かない郵便物

確定申告に必要な企業年金の通知が来ない、元同僚は横浜に住むが20日に配達されたと聞いたので郵便会社のHPを見て電話したら、ここは配達の係でないから掛け直せの一点張り、内部連絡がどうして出来ないと切り返すと相談するからと5分以上待たせてから調査し折り返し返事してくれる事になった、私が用足しに出かけている間に近所の支店から電話があり、此処で滞っていますと回答してきたそうだ。
時として連休後でもないのに持ち切れないくらいの郵便物が受け箱から溢れ出てくることがあるし何日も来ない日が続く事もしばしば。
今回は催促して今日配達しましょうと云う事になったが、何で滞るのかと聞いたら原因は分からないと答えたそうだ。
2月に用事があり早めに確定申告を出してしまいたい僕のような人は勝手に滞らせては困るのだ。
都内から4日もかかったり、隣町から3日もかかる理由は原因不明の滞りらしい、出しても届かない事も数回経験するが地元支店だけなのか、サボる相談を飲み屋でしていた郵便局時代より民営化してさらに悪くなったのか、ますますネコメールが増える訳が分かる気がする。


写真はムクドリ


  日差し延び数日当たる台所     七一翁

2011年1月26日水曜日

ネコヤナギの花

喪中だったがさびしいからと食卓に小さな正月飾りの生け花を買ってきた、その中に15㎝位のネコヤナギの冬芽をつけた切られた枝がが二本入っていた。
小さな濃い赤い皮に包まれた冬芽は正月が過ぎてもそのままだったので家人に中国では正月飾りのネコヤナギの冬芽は皮をむいて銀色の毛を出して飾っているよと言ったら知らない間に剥いてあった、その冬芽が大きく膨らんで銀色の猫みたいになった、そして一本は花を咲かせた。
家人を更に驚かせようと多分根が出ているから小さな花瓶から抜いてみたら枝の下端から小さな髭のような根が出ていた。
これをどのように生かして行くかが問題だ、伸びないように剪定して花瓶で過ごしてもらうほか仕方がない、川があっても何処が原産地か分からない植物を多摩川などへ植えて外国産や東北や北海道のものだったら大変な過ちを犯す、第二のブラックバスやミドリガメになってしまう、このまま焼却処分するのがよさそうだ。




 池凍り夏のつわもの今どこに     七一翁

2011年1月25日火曜日

僕には出来ない仕事

散歩途中の高圧線鉄塔の上に張られた電線の上で作業している人々がいる、凄い人たちだと僕は感心する。高所恐怖症の僕には絶対に出来ない仕事だし4,50mはあろう鉄塔へ登って行く事も出来ない、7階建ての百貨店の屋上にあった遊園地の金網から下を見下ろす事が子供の頃には出来なかったし最近ではガラス張りビルの25階の執務室を割り当てられたとき、しばらくは天井から床までガラス張りの部屋の窓側へ行けなかった。
作業に従事する人はどのような新入社員教育を受けるのだろうか、適性検査ももちろんあるのだろう。
高所恐怖症は一体どうしてなるのだろうか、閉所恐怖症を含めて先祖から遺伝子を引き継いでいるのだろうか、ご存知の方ご教授ください。




 初詣招く社や人おらず    七一翁

2011年1月24日月曜日

命拾いした


羽村堰の帰りに通った畑の隅で一本だけぺんぺん草とも呼ばれるナズナが生えていた。
春の七草の一つで七草粥に入れられる雑草、幸運だったのか今頃寒風に吹かれていられる、夏の頃のペンペングサは名の由来の三味線の撥に似た葉っぱの色濃く、少し下へ引っ張るとブラッとぶら下がるようになり幾つも引き下げて指で軽く回すとペンペンと音がするような感じがした。
それゆえペンペングサと呼ばれると今の今まで思っていたが広辞苑を見ると葉の形が三味線の撥と似ているからだそうだ。粥に入れても余り美味しい味がするとは感じられなかった。

知らぬ間に南天食らう冬鳥は     七一翁

2011年1月23日日曜日

広東人が食べないもの

食は廣州にありと言われます、中国の廣州は美味いものが揃っている、廣州の名物は美味い食べ物と中国人が言ったのでしょう。
そして廣州では何でも食べるが飛んでるもので食べないのは飛行機、脚で食べないのは机の脚などと面白おかしく、かつまた何でも食べる事は事実でサルの脳みそを食卓の真ん中に手足を縛った猿を座らせて匙ですくって食べたり、洞窟のコウモリの巣の下から糞をすくい蚊の目玉を分離して食べたとか色々と聞きました。この他にワニ、センザンコウ、アルマジロ、トラなどを食べていましたが最近は動物保護の観点から禁止されたよと聞きました。
羽村堰の運動場の上を通過しタッチアンドゴーの飛行訓練している、付近にある米軍横田基地の輸送機が頻繁に飛んできました、胡錦濤さんはこのような飛行機を見ると煮ても焼いても食えない美国だと今頃米国の何処かで思われているでしょう。


 寒風に合格祈願絵馬揺れて     七一翁

2011年1月22日土曜日

凧揚げ

羽村堰の河川敷の運動場と云うか広場ではソフトボールを中年の方々がしていた、その他に自分で作った紙ヒコーキを飛ばす老人達や自作の凧を持ち寄り揚げている面々がいた。
自分で作った凧は絵も素晴らしいが高く上げていて写真に撮れたのは文字の上手な一つだけだった。
ゴムで打ち出して飛ばすヒコーキも面白いが凧はもっと面白いだろう、子供の頃に冬休みの宿題で竹ひごを骨とした四角い凧を作ったが上手く上がらなかった(揚がるとまで行かず)記憶がある。
僕が作ったものでまともに出来たのは単純な鉱石ラジオくらいだ、あれも思い出すと面白かった。


大寒や年寄揚げる凧幾つ     七一翁

2011年1月21日金曜日

今日は歩いた

日、羽村堰へ鳥見に行き2万歩少し歩いて来た。
多摩川河畔は風が無く歩いていると汗ばんできたし土手に座りおにぎりを食べたが全く寒くなかった。鳥はお目当てのホオジロがいたしカワセミ、モズ、カワラヒワ、シロハラ、ツグミ、マガモ、アオサギ、コサギに出会えた。
河原の枯草をもう少し丹念に見ていればまだ数は増えたのだろうが、先へ行きたくなりじっと見ていられなかった、ダメですな。
小学校の畑では菜の花がもう花盛り、ナズナ、ヒメオドリコソウも開花していた、寒いけれど季節は進行していた。


 大寒や陽光温く羽村堰     七一翁

2011年1月20日木曜日

琳派の展覧会


本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山、酒井抱一などと云う琳派のそうそうたるメンバーの煌めく金の世界と云う展覧会を見た。
正直言ってどれくらい凄いとか巧いとか美しいなどという言葉を発する事さえ恐ろしい世界だった。
もう何のと批評したり感動したりするゆとりが無い、開館直後だったからすいていた事もあるが、いつものオバ様たちも声を発していないきわめて静かで展示物に移入している。


もう一つの見方は師から弟子へよく教え込まれ引き継がれたものだ、見本と云うかお手本が一部だけ展示されていたが見よう見まねで書いたのであろうがきちんと要点を押さえているのに感心した、出来たから名人なのだろうが。
門外漢の僕には感動はしたが何も言えない。




河豚食うと約束しては季節過ぎ    七一翁


純さん今年は食べよう

2011年1月19日水曜日

年男



年男だねと娘が二枚絵葉書をくれた明時代銅製の兎です。
左側の兎は天を見ていますが何を見ているのでしょうか、中国でも兎は十五夜お月さんを見る習慣があるのでしょうか?
右側の兎は鈴が揺れ手を挙げて動いている様がよく表現されています、この二匹の兎は実に巧く出来ていますね、感動しました。
明時代は芸術が発達した時代だと聞いていますがさすがですね。




   






南天実三粒残して鳥離れ    七一翁

2011年1月18日火曜日

母の一周忌

昨年一月十七日に母が93歳の生涯を終え今日一周忌を迎えた。
墓地へ弟妹の三家族6人が集まり花を手向け祈りをささげて記念日を過ごした、風が無く陽光が射し
暖かな一時だったが花活けの水がちょうどワンカップくらいの大きさに写真の如く凍っていた。それくらい夜間は寒かったのだろうが我々のいる間は幸いな事に寒さ知らずで寒中である事も忘れていた。


一年は早いものだ、前半の半年間は種々後始末で駆けずり回り忙しい日々を過ごした、これで知ったのは死の準備をきちんとしておかないと残されたものが困る、特に独り暮らしであるときちんとしていても手続きに行かざるを得ないし行政は断続的に小出しするように言ってくるから困った。


今日で喪を開けて謹慎した生活から普段へ戻し祭りへも参加しよう。




喪が明けて椿こぼれて寒の中   七一翁

2011年1月17日月曜日

今朝の寒さ

今朝7時45分に外部の寒暖計を見たら0℃だった、急いでカメラを取りに戻り写真を見たら2℃だ、変化の速い事。この寒暖計は床暖と給湯用の大型湯沸かし器の壁にぶら下げてあり普段は隙間が空いているし湯沸しも壁には伝熱しないから影響なく外気温を見ていられる。
しかし今朝はカメラを取りに行く前にスイッチを入れたので急激にガスが燃えて排気が庇に当り下がって来て周囲の温度を瞬間的に上げた結果だ。
東京でも0℃になったよと示したかったのだが残念だった。


久我山駅前で秋田物産を売る人々がいた

風寒く秋田の人のきりたんぽ  七一翁

2011年1月16日日曜日

鼎談

ていだんと読み三人で対談する意味、今日寄席に行ったら三人会で落語家三人が同期の入門なので師匠の枠を超えて三人会を毎年開いていると自分たちの師匠や入門時代の事を語り合った。
寄席のようなところで鼎談という文字を見るのは初めて、残念ながら鼎の字が違っていたが普通は少し難しい雑誌などで学者や専門家の対談でお目にかかる。
鼎談の鼎は象形文字で三本脚の銅製の器で鍋だったとも言われている、そこから三国鼎立、三者鼎立などと三にまつわる時に使われて来た。
僕も唐時代の鼎を一個持っていたが台北のビル火災で消滅してしまった。


写真はマヒワ♀


大雪とテレビ報じてわが日差し     七一翁

2011年1月15日土曜日

インフルエンザの季節が来たようです

何時申し込んだのか分からないがblogが来る、それによると東京都では新型インフルは流行していないと報じられていたが年が明けたら流行し始めて来たらしい。
僕と家人は予防注射をしたので多分大丈夫だと思うが一度だけワクチンを打ったのに罹患したことがある。そんな訳で多分大丈夫で罹患の可能性もある、ワクチンを打った直後に物凄く熱が出て関節も痛み本当に罹ったようになった時も多々ある、虚弱体質は困ったものだ。
皆様もワクチンを打って予防してください。

写真は水族館の入り口の淡水魚を見せている池の魚を狙っているゴイサギ、追い払ってもすぐに戻ってくる。


陽だまりは値千金猫も寄る  七一翁

2011年1月14日金曜日

止せば好いのに

小学生の頃、通学途上の道路は水たまりや商店で朝早く掃除をして水を打つ店があり凍っていた、そのような冷たさ寒さでは無かったが今朝も冷え込んでいた。鳥見の写真のピントがいまいち甘くて解決に数日悩んでいた。取説などを読み策を講じたので公園へ出かけたが、写真機を持つ手がかじかんで来るし首筋を吹く風が冷たい。
我ながら止せば好いのにと思うほど、講じた策も首尾よくとは行っておらず半分がっかりしながら午前中、寒さを感じないのか視野に入れるのに苦労する元気な小鳥を撮って来た。

写真は策が巧くいっていないメジロ


鳥膨れ一一一一一明け(寒さで鳥も膨らんでいる11年1月11日が明けた)

2011年1月13日木曜日

俳号

昨年末から考えていたのだが、むろん僕の考えることは大した事はないのだが。
誕生日が来ると七一翁という俳号もあわない、七二翁にしようかと思ったがナニオウでは毎日喧嘩しているようなので骨骨(コツコツ)に戻してもいいかなと思ったがテレビから「毎日コツコツ三千円から・・・」と聞こえて来たので止めた。
そこで考えたのが次の4つですが皆さんどれが好いでしょうか。
1. 枯沼 (こしょう)
2. 枯飯 (こはん)
3. 枯飯 (かれい)
4. 乾沼 (かんしょう)




枯淡の境地などには到底なり得ないから枯を使うのはおかしいかもしれないが、無い知恵を絞り考えた候補です、どれがいいでしょうかコメントに書いてください。


写真はシロハラ




 ガラス戸の日差しまた延び爺昼寝     七一翁

2011年1月12日水曜日

どうして

あまり風が強いので横町へ入った、フェンス側は自動車学校で昔からあったが最近校舎を新築したり若い人に受けるように作り直した。
電柱が道路の三分の一のところに並ぶ光景はこの時に出来たのか以前からか、新しくスーパーが開店しなければ通る道ではないので気が付かなかった。
車がすれ違う時はさぞ面倒だろうが、どうして放置しているのか信じられない光景だが事故でも起きたら改善されるのだろうか。


    日差し伸び何やら仄か寒の夕    七一翁

2011年1月11日火曜日

手水鉢の氷

買い物に出かけたら庭を設計する店で龍吐水の水受けが凍っていた、これを見て思い出したのが冬の手洗いの水が凍っていた事だ。ブリキの下の弁を押すと水が出る吊り下げ式の水タンク(名前を知らない)、トイレを出た廊下の外に置いてある石をくり抜いた手水鉢など大抵が外にあり、用が済むと雨戸を開けて手を洗ったが寒い冷たい歯の根が合わない寒さだった。家の中に水道の手洗いがあってもチョロチョロと出しておかないと凍った、地方へ行っても下水が発達し温水の水洗式トイレが出来るとは少しも思わなかった東京でも時々雪が積もったころのお話し。


   晴天を映しこんでる初氷     七一翁

2011年1月10日月曜日

自動車屋さん

今歩いて吉祥寺のYカメラへ行って来た、往復の途中に数軒の内外の自動車屋さんと米国とドイツのオートバイの販売店があります。
このどの店も接客の机には客と販売員が座り床で幼児がおもちゃで遊んでいる、この自動車が溢れて駐車する場所も無い状況で客は買い替える人が多いのだろうか、不景気とか若い人に職が無いと言われて久しいが見に行くのか買いに行くのか客は若人だ。
僕も若い時には性能の良い新しい車が欲しい時期もあったしHDのオートバイに憧れたがカタログを見るのがせいぜいで手が出なかった、今の若い人は簡単に車が買えるのだろうか、別の街道を上っても下っても沿道にある車屋さんは来客で一杯だ、平日でも一組は客が見られる、あるところにはあるのだな。
 写真はアオジ


    寒波来て鼻炎激しくわが弱み    七一翁  

2011年1月9日日曜日

全国民に政府から食糧を支給したのは第二次大戦、この計算のため三度の食事が決まったとか。
昨日の七草粥は正月行事だそうだが菜っ葉を切り刻んだ飯や粥は増量し米粒節約の手段として経験した。芋粥はサツマイモしか食べたことが無いが昔は里いもを入れた芋粥だったのだろうか。
里芋を入れて炊いた粥は旨いのだろうか塩味が効いていれば食べられるだろうと推測する。
小豆粥は正月行事としては十五日に炊いたが最近我が家では炊かなくなった、小豆は善哉で食べるから粥まで回らないのか、面倒だったりして家人の好みで無いから炊かないのか。
好みと云えば七草粥で無くても小松菜を刻んで炊いた粥が僕は好きだ、粥を食べたいと言うと土鍋を
台所の一番上の棚から出すのが僕の役目、半鐘泥棒だから。


 アオジ来て寒さ吹き飛ぶ寒の入り    七一翁

2011年1月8日土曜日

七草

今日は七草、落語の噺を思い出しているのだが思い出せない、それは七草の話が出て冬の質草を熊さんだったか八さんがしゃべる馬鹿馬鹿しい話しなのだが正月寄席では季節の噺としてよく掛かった。
しかしその詳しい噺の筋が思い出せない。
我が家でも昼食に七草が入った粥を食べた、子供の頃の話になってしまうが粥に大根、蕪とその葉っぱが入っているのが当然でいわば毎日が七草だった。
ご飯もおかゆも同じで何かが入っていたし米が沢山入っているご飯を食べたのは中学卒業するくらいだったろう。


 風冷た鴨眠りいて空青く    七一翁

2011年1月7日金曜日

アオサギの頭

駅前を流れる神田上水にいつからかアオサギの若鳥がいる、警戒心が強くカメラを向けると飛んでいるのが普通だが、この個体は鈍なのか怖いもの知らずなのか5m位離れた対岸からレンズを向けると
昼寝の目を開けて凝視するだけ、しかしシャッター音がすると移動しようとするので、一計を案じ対岸の道路の上から真下にいるサギを撮ることを考えた。そっと行ってカメラを欄干から出して撮り始めると3秒くらいで気づかれ上目づかいに睨まれたの止めた。
アオサギは色も飾り羽もきれいなはずだが残念ながら若鳥で成熟しきっていないのだ、頭のてっぺんにあるはずの長い飾り羽が生えかけだ。




寒風に遠山冴えて日が暮れる    七一翁

2011年1月6日木曜日

また取説の話し

鳥見に午後から出かけ公園へ着いたら僕のカメラのオートフォーカス設定について数人の仲間から聞かれた。皆さん同じカメラを使っているが人によって設定の仕方が違っており、しかも設定根拠がいい加減で僕の条件を聞いたらしい。
話を聞くと皆さんが取説を正確に読んでいない事が判明した、その中には僕に撮影条件の講釈をしてくれ僕は真に受けて設定し写真がボケて元に戻した事もあった。原因はカメラの機能が複雑すぎて取説を読んでも年寄には十分理解出来ず使いこなせない事にあると僕の条件を話していて気付いた。


後から来た方が取説の解説本があるから、それを読むと分かるよと教えてくれた。
取説を読んで使っているのだが解説書を読まないと使いこなせないとは知らなかった、そんな高級なカメラとは思えないのだが。


 七草のハコベのみあり神田川    七一翁

2011年1月5日水曜日

七福神


最近、何とか七福神が正月になると出てくる、今日も電車の中吊り広告に京王電鉄と西武鉄道の沿線の幾つかの七福神めぐりを共同広告していた。
中には江戸期よりの由緒のあるものもあるだろうが私が行く弁財天は近年七福神巡りをはじめ、今年はパンフレットみたいなものをこしらえテント張りで販売している。
社の岸にカワセミが来るので見に立ち寄らせてもらうため毎年ご迷惑料を兼ねてお賽銭を僅少であるが差し上げている。
ここの弁才天は歴史が古く銭洗い場や殺生をする料理人が建てている供養碑などもあり、我が家付近には案内のため江戸期の道しるべが立っており乗合馬車が走っていたからと馬車道と名付けられている。
七福神をもっと早くから組織していれば昨日の行列を見るとご利益ももう少しあったと思うのだが
畑のの道を歩き回るのでは人が来なかったのかな。

 湯気立てて吹く噴水や寒間近    七一翁

2011年1月4日火曜日

真冬でも虫がいるのですね

これはエナガが何かの幼虫を捕まえて次の瞬間は押さえつけて食べ始めます。
餌となるこのような大きな幼虫がいるのですね、写真では一匹だけど野鳥が毎日食事しているのですから莫大な数がいると云う事になります。
虫たちも食われても春になると飛び出すのですから数えきれないほどの虫卵が孵化しても世界中虫だらけにならないよう巧く出来ているのですね。


鳥見の方も新年特別版です。http://teiinuma67.blogspot.com/


 蠟梅が香る夜道の星明り   七一翁

2011年1月3日月曜日

初礼拝

初礼拝(詣)に出かけた、名前は知らないが同じ顔ぶれの信者さん達だった。
教会では未だ降誕の続きでキリストが生まれた直後の事が語られていて聖書もその場面の朗読があったし牧師のお説教も関連したことであった。
会堂の暖房が効きすぎていて今日は具合が悪くなり後半は注意散漫でいけなかった、どうも空調の吹き出し口が左右から吹き付けていたようだ。
暖房にしろ冷房にしろ全ての人の満足を得るのは何処においても難しいもので職場でもそうだった。


 蠟梅が一輪咲くや初礼拝     七一翁

2011年1月2日日曜日

うれしい誤算



昨年秋に息子が結婚するよと言い出した、そのおかげでうれしい誤算が出て来た。
家人は食器や食卓で使うお盆やマットなどすべて四人分で揃えて来た、昨春加賀へ旅して買ったお盆も四人分。喪中ながら正月の膳を食べていたら息子が来年から二人で来ると食器や盆が足りなくなるねと言い出した、そうだ食卓も狭くなるし考えなくてはならない思ってもいなかったうれしい誤算だ。
盆は加賀へ電話すれば揃うかもしれないがお椀は京都のものだからと家人は少し頭を抱えだした、一年後に本当に5人になるの、否って言われないの本当に大丈夫なのと娘が弟をからかった。
うれしい誤算はあるのだが家人はことし喜寿を迎え、もう年末の掃除、年越しの準備を一人でやるのはきついから私に手伝えと旧臘30日に言い出したばかりだった、うれしい誤算ばかりではなくいよいよ老妻一人にすべてお任せとはいかなくなってきた、今までのツケが一気に回って来たような年始だ。
(2011年1月近影)


   何事も変わりなくても年が明け    七一翁

2011年1月1日土曜日

兎に角を出さず

兎に角


 今年6回目の卯年を迎えました、生後一年ハシカから生死をさ迷い、その影響で病弱で中学までは学校を休んでばかりいた。今でも虚弱体質とからかわれるが両親,弟妹、家人や家族、友人たちのお蔭で生きて来られた、よく寝込んでいる私を見て父親は20歳までもたいないとと言ったがこうしていられるのは奇跡に近いと自分では思っており皆様に感謝してもし尽せない。


6回目の卯年を迎えたからには気短を克服して兎に角(うさぎがつの)を出さないように、いい年をして
瞬間湯沸かしみたいになると言われないように少なくともしたいし、蕎麦屋の行列を我慢してS師と並ぶくらいにしたい。
今年も出来る限り毎日歩き回り好奇心を旺盛にしボケを防ぎ、このblogを書きたいと思っています、読んで下さる方がおかしいよとボケをコメントでどうか指摘して下さり早めに私がアルツハイマーの治療をしたと考えていますのでご協力ください。


決して脱兎の如く生きようとは考えず兎仔子(役立たず)と言われないように、兎死狗烹(恩を忘れ義に背く)ことの無いように、せめて兎死狐悲、物傷其類(同類相憐れむ)ような生き方をする積りです。
今年もよろしくお願いします。




    平成は二十歳も過ぎて年開ける


    卯六度来我皆無也ただ悲し(うむたびき われみなむなり ただかなし)     七一翁