2011年4月30日土曜日

行ってみたら

二三日前、古希祝賀会の会場は渋谷のいつもの某所だと家人が息子からの伝言を娘と僕に伝えた。
それ以来家人は僕が場所を忘れているのではと何回も覚えているか、道を間違えずに行けるかと聞く。これこの通りと近道の改札を出て指定された某所へ行ってみたら息子たちがいないではないか。
電話して聞くと場所を間違えていつもの場所へ来てしまった。家人が思い込みで場所はいつも行くところと決め込んでいたのだ、やっと駆けつけると息子が母さんの古希の祝いにあんなところでやると思っているのと抗議、まあ予定より30分遅れで始まり息子の婚約者も混じり愉快で和やかで美味しい会でした。
私が家人にお互い年をとりたくないねとそっと言った昨夜でした。




 もう二枚暦破りて明日五月          枯沼(こしょう)

2011年4月29日金曜日

枯沼

本日兎年が7回目に入りましたが、だらしないことに先を暗示するように先日来の微熱が下がらず咳が出て気分がさえません、自分の予想ではもう一周完走することは無理だと思います。
本当は会社の同期の方から声をかけられ昨年5月からブータンで牛乳工場を作る話しに携わり現地へ行かなければならないところでしたが身体が無理と判断し少し若い元気な方へ代っていただきました、もう体力的に馬力がありません。元気があれば未開の地で人のお役に立てたのでしょうが悲しい事です。(顔は馬顔で一馬力ですが)
ところで厳寒の時期に先走って七一翁を変えたいのですが、どれがよいでしょうとお聞きしたところ枯沼がいいとのご指摘を頂き枯沼と今日から変更致します。


今日の一句は現状を詠みました。
    うとうとと青葉若葉の七二歳(ななにさい)        枯沼

2011年4月28日木曜日

本日は晴天なり

外はいい天気です、未だ体調不良は治らず鼻水まで出るようになり咳がひどく微熱も上がった。
明日、子供たちが母親の古希の祝いと私の72歳を記念し食事を外でしないかと言って来ている、家人は髪結いに出かけ僕は明日万が一参加出来ないと困るから家で寝ていろとのご指示だ。
こんなよい天気だから鳥見に出かけたら体調不良も吹っ飛ぶと思うのだがお許しが出ない、原因に最近咲き出した木の花の花粉アレルギーがあるかもしれないので踏み切れない。
南風は吹き出し夏鳥が来て初夏になったとたんに鼻が詰まり喉が痛くなったからだ、写真も在庫が払底しそうで物干しにあるエニシダを撮り間に合わせた。


 花枯れてななにさい(七二歳)やボケの坂        七一翁(明日から枯沼です)
 
 (今日の句は我ながら秀逸)

2011年4月27日水曜日

風邪は

一昨日、うがい薬を処方してもらい、これで治るだろと思っていたら、喉の痛みが激しくなり体温も平熱より2℃ほど高くなったので先日の内科へ行った。
木曜日は僕の主治医の旦那は休診で奥さんだけ、症状がひどくなったと言うと風邪は病気のピークを越えないと治らないのですよ、薬を飲んだり治療をしますがピークの症状を軽くするだけで完全に抑えるわけに行かない病気です。
処方する解熱剤と鎮痛剤、鎮咳剤を服用し家で安静にしてもらう以外ありません、お年の事も考えて下さいと診断された。
午後から逆療法で鳥見に往復歩いてゆき汗をかいて治癒させようと思っていたが気勢を制された。
夏鳥が来たと多数のメールが来ているのに残念だ。




  待ち兼ねたオオルリ来たが我は発熱(ねつ)     七一翁

2011年4月26日火曜日

法然上人絵伝

昨日から喉が痛く熱もわずかにあるので週末の行事に備えて静養し録りためたビデオを見た。
一つが法然上人絵伝でデジタル化した画像と実物を見せてくれたが、この湿度の高いわが国でよくぞ
全長450余メートル235場面の絵画と文字が痛まずに鎌倉とも平安末期に作成が始まったされ黴も生えず傷も殆ど着かず現在まで残っていた事に驚いた、宗教画であり開祖だからだろうか。
次に1212年に没し100年経過して誕生から没するときの逸話までその時代の風俗習慣から専修念仏の教えまできちんとかかれている事だ。子犬を抱いた子供が描かれ、この頃から犬が家畜化されたことを示しているそうで、他の事柄も含めて興味が尽きない。
南無阿弥陀仏を繰り返し唱えていれば成仏出来るとの思想を確立し広めるまでの苦労もきちんと、しかも作成の指揮者がいて法然さんを同じ顔で描かせている事も、この時代としては画期的だったろう。




     喉痛む我見透かすか鯉のぼり      七一翁

2011年4月25日月曜日

雨に走れば

先ほど鳥実をしていたら一天俄かに掻き曇り肌寒い風が吹き出し予報どおりだなと思っていたらぽつぽつと大粒の雨が降り出した。
実は曇りだした頃から走って駅へたどり着こうとしたが雨の方が早くシャツが濡れだしたが傘がない、なんとか駅へ着き二駅(約1500メートルほど)乗車し吾が最寄り駅に着いたら雨は殆どやんでいた。
足早に家に着いたときには陽がまた差し始めた、確か今朝の天気予報では午後から前線が通り夕方まで雨降りのはずだったが?
久しぶりに重いレンズを背負って走るのはしんどかった。


   甲羅干す亀千年も何憂う     七一翁

2011年4月24日日曜日

復活祭


今日は復活祭でキリスト教で一番のお祭りだそうです。世界で唯一,死者が生き返ったとされ我々の救い主になられたわけです。
多分世界中のキリスト教会で礼拝やミサの後でイースターエッグを探し出す遊びがありゆで卵を頂ける、子供の頃は鶏卵が高価で買えなかったので開くとヒヨコが飛び出したりするカードを貰いましたが昭和8年お生まれのご婦人が私の頃は卵を頂けた事もあったと戦前のよき日を紹介してくれました。
礼拝のお話の中で牧師さんがイースターの卵探しはキリスト教を離れて遊びとして一般でゲームとして遊ばれるようになったと紹介していましたが私のは初耳でした。調べてみるとキリストの復活と卵とは直接の関係はないようで古い時代の民間信仰などが入り混じって出来たようです。
と言うわけで写真は頂いたイースターエッグ、昨夜関係者が茹でてくださったそうですが、この日のためにキリスト教会で消費された鶏卵は世界で何個になるのでしょうか。




    色染めの玉子手に得る後幾年(いくつ)     七一翁

2011年4月23日土曜日

ツツジ


地震に一人でおびえている間に季節は初夏に移りつつある、しかし気温が低い年ですね。
気温、地震による地磁気はたまた何が影響しているのか渡り鳥も少ない、やっとツバメの数が増えつつある。
鳥見の公園では気づいたらツツジがきれいに咲きだしていた、これからはツツジやサツキの季節になって大型の花、小ぶりの小さな花をつけた赤、白、紫色の花が山の中腹一面に開花しているのを見ると登って来た苦労を忘れる、そんな事も昔はあったな。
先日行った名古屋東山の丘陵も丈の低いマツに混じって赤い花をつけたツツジが所々に咲いていたが丘陵という丘陵総て開発され鉄筋コンクリートの住宅になっていて見ることが出来なかった。
そういえば小学校の校章はツツジの葉5枚組み合わせたもので江戸期の大久保がツツジの名所だった事に由来しているそうだ、。


久方の雨若葉の埃洗いてか       七一翁

緊急地震警報

携帯電話へ緊急地震警報が来るシステムがあり利用されている方も多い。
現在気象庁が出している警報を利用して種々の警報装置があるがパソコンへ流してくれるソフトを紹介していたのでダウンロードしマグニチュード5 震度4に設定した。
設定をゆるくすると警報がなりっぱなしになる可能性があるのでシビアーにした、テレビをつけていなくてもパソコンを立ち上げておくと警報が鳴ってくれる。
何回も書くが幼少期の大震災を二回も経験し長じてからも何軒ものビルが倒壊し道を塞ぎ、5mはあったろう断層が走る壊れた工場の復旧に従事し地震恐怖から抜けきれない。
それゆえ僕は利用する次第。
興味のある方は下記のURLをご覧ください。


写真は咲き出した紅白のハナミズキ






http://www.estrat.co.jp/download.html

2011年4月22日金曜日

静岡らしい

静岡駅へ戻り何処かで休憩しようとお茶が飲める場所がないか探したら週替わりで茶農家が栽培した静岡茶を飲ませてくれるガラス板で仕切られた簡単な喫茶室があった。
三種類のお茶がありそれぞれ特徴を説明してくれて選択する方式で僕は如何にも静岡茶らしいものを選んだ。一煎目は店の人が温度や湯量をお茶に合わせて考慮し出してくれ、お代わりは自分で入れた。歩き疲れた身体を癒すには好都合のお茶、お菓子は二種類から選択出来た。
静岡茶を宣伝する窓口、現在風に何と言うか忘れたが茶葉も買えてよい趣向だ。(想い出したアンテナショップだ。)


 葉桜や景色変わりて名残無く     七一翁

2011年4月21日木曜日

浅間さん

静岡の家から西の方角へまっすぐ行ったところに浅間さんと呼ばれている浅間造りの美しい塗りの神社がある。住んでいたころは三軒の神社が隣り合って並んでいたとは知らず先日行って初めて知った。その中でひときわ高いきれいな塗りで目を引いたのが富士宮に富士山をご神体とする本宮がある浅間神社、ググッて見ると江戸時代に造られ駿府に幼少期を過ごした徳川家康の信心が厚く寄進もされ重要文化財の神殿、沢山の歴史的に重要な建物や装飾がある事も子供の頃は知らなかった。
市内が焼け野原にバラック立ての状態だったから丹塗りの荘厳な大きな建造物に見えただろう、浅間神社は各地にあるが塗装がきれいで絵が美しく見ていて楽しい社だ。


目に青葉丹塗りの社は健在で          七一翁

2011年4月20日水曜日

両方好きな僕でも

駿河路のあるところで昼食をとった。
昼にカレー南蛮や天ぷらそばを食べるのが好きだ、その日も天ざるを食べ大満足だった。
食べ終わりふと正面の壁を見るとカレー天ぷらうどんなる紹介写真があった、小川軒のタンシチュウとオックステイルシチュウを食べたいからと半分ずつ盛り付けさせオックスタンというメニューを作らせた美食で有名な作家がいたが僕が幾ら天ぷらとカレーが好きでも手を出しかねる。
過去にここに書いたが興味本位で 天ぷらラーメン を食べて気分が悪くなった事を思い出した。


駿河路は茶未だ早く夏遅れ            七一翁

2011年4月19日火曜日

久しぶりの対面


昭和22年に父の転勤で離れた名古屋東山をもう一度見たいと言う妹の願いを実現させるため出かけた。
貸家だった生家はすでに建て直されて痕跡も無いし周辺も建て変わり彼女の記憶を呼び戻す手立て。
餌が無くなり象使いが二頭の象を連れ出し辺りの草や樹木を食べさせていたのをかすかに覚えていたので動物園へ新たな記憶がないかと訪ねて見た。
そこで象は既に死亡していた事を知ったが妹よりも僕がさまざまな事を思い出し感激した。
その一つがコンクリート製の恐竜3体、写真の何倍もの大きさだと思っていたが意外に小さかったが昭和13年に精巧な模型として作られたと立て札があった、僕より壱歳年上だ。
それから感動したのはアジアゾウ、ホッキョクグマ、ライオンなどの獣舎や檻が当時見たものが現在も使われている事だ。
よくぞ70数年も使い続けて来た事だ、本当に懐かしくうれしい半日だった。


アオサギがアパトサウルスの上に止まっていました。

2011年4月17日日曜日

足元では

サクラが咲いたと浮かれていたら足元ではシャガが花を咲かせていた。
気温が低かったが野生種の植物の生育には影響が無かったのであろうか、記憶が定かでないが
シャガは今頃咲いていたと思う。


 シャガ咲くも夏鳥鳴かず惑い来る      七一翁


明日から二日間の予定で旅に出ますのでお休みします。

種々のサクラ

ヒカンザクラから始まり次々と種々のサクラが咲いて行く。
このサクラは青い花のはずであるが今年は青みが殆ど無い、栄養の悪い川岸の公園に植えられているためであろうか、それとも寒さが長かったからだろうか。
仙台でもサクラが咲いたそうだが三春の枝垂桜(タキザクラ)は未だ咲いていないだろう、今年は見に行こうと思っていたが震災で落ち着かない状況だろうから来年に延期したが、数年前見に行ったときは老化し痛々しかった樹は震災で大丈夫だったのかを先ず確認しなければならなかったのだ。


 シメの嘴色変わりおりシャツ脱ぐ      七一

2011年4月16日土曜日

人の京の友人から筍が届いた、毎年くださり僕は楽しみにしている季節の食べ物。
お返しに千葉のナシを夏に届けているようだが、今年は放射能が気色悪いからナシ要らんよ と言われたそうだ。一体幾つまで生きる積りなんだろう。
筍農家の方は糠までつけてくれた、糠みそ用に化学調味料とかトウガラシ、出し昆布などが混ぜられた糠は市販されているが糠だけは見つからない。
薄い皮に梅干の紫蘇を挟んで舐めて見ようかと思ったが梅干を漬けなくなったので紫蘇がない。
もう暫くしたら掘りたての筍は珍重されず缶詰になってしまうのではないかとふと思った。
木の芽和え旨いですよ、山椒も芽吹いてりおあつらえ向き。


    
 木の芽吹きツバメ筍鯉のぼり    七一翁

2011年4月15日金曜日

花が散ったら

公園のサクラは未だ散ってません、下のパノラマは今の花の状態です。しかし池の一部分の水面は花弁が浮かんで花筏を通り越して完全に蓋をしている、総ての花が散って三分の一でも池へ入り込んだら水が腐敗し通常でも酸欠傾向の池は分解出来ず大変です。
このまま一級河川の神田川(神田上水)へ流したら川淵の花弁と公園のとで川の水量が無い短い流域では分解されずに大量の生ごみが東京港へ入り込みます。
都会という所は花の咲くのはよいが、その花弁さえ処理出来ないところです、昔の水量のあった池や川を再現したいところですね。


   ツバメ来て灯り消えおり私鉄駅            七一翁

2011年4月14日木曜日

待ち鳥来る

待っていたツバメが僕が駅の階段をおりていたらたった今着きましたという感じでツバメが
駅の壁を確かめているのか舐めているのかホバリングし続けてから消されている照明灯に
止まった。しかし身体は震えているよう、また何処かへ行きそうな感じだったが今年のツバメ到着を自分の目で確認出来ました、これで一安心です。

どうしてだろう

桃の白い花の中に赤い花が混じっている、一枝純白の花が咲いているがたった一輪だったり数輪赤い花が混じり並んで咲いていることもある。
どうして白い花の中に異なる色の花が咲くのか、白い花が時間の経過で赤くなるのか或いは赤い花が
脱色されて白くなるのか、此処の花が咲くとき毎年不思議で仕方が無いのだ、もももすももももものうち というから不思議ではないのかもしれない一体どうしてか。




  新しい制服(ふく)未だぎこちなく子ら群れる    七一翁

2011年4月13日水曜日

余震

激震からひと月が経っても震度5以上の地震がある、住んでいる場所のせいか周囲に騒音があるために聞こえないか不明だが、幼児時代にはゴーッと地底から音が余震が来る寸前にした、五歳弱の幼児だった僕は震え上がった。木造で本震で壁は落ち屋根瓦はずれガラスは割れたひどい家で揺れるたびに壊れるかと思った。
山形と郡山では建て込んだ住宅地に棲んでいるとは思えないのだがキジの番がいて、特に揺れ出す前に郡山のキジは狂ったように鳴きだした、DIYスーパーの駐車場を羽根を広げて鳴き走り回り5秒くらいすると揺れ出した、昼夜を問わず人が居ようがいまいか関係なく必ずだった。
山形のキジは予知にはならなかったが揺れている間鳴いていた。


現在はゴーッと云う地鳴りの代わりに緊急地震速報のチャイムが今も鳴ったが緊張を高め精神的に良くない。


先ほどニュースを見ていたら余震は一年以上続く可能性が強いと地震の権威の方が話されていました
皆様ご用心ください。




   地震来て我関せずと桜散る    七一翁  

2011年4月12日火曜日

もう一月が経過する

万事想定外と言われる大震災からひと月が経過する、新聞記事だが津波が来たらひとたまりもないから対策を講じたらと識者が進言したら行政の防災担当者から百年先の事を今からやってられないと突っぱねられたそうだ、そして想定外の地震と津波と行政は処理しようとしていると。
確かに何世紀かに一度の地震だったそうだが震度7の地域で家屋の倒壊は少ないし大災害は津波で起こっている。そうした地域へ過去に行ったときに繰り返しになるが山の上に明治の津波がここまで来たと印があった、今回もそこまで来たそうだ。
津波が想定より高くても過去の高さで防潮堤を作ってあったところは被害が少ないと報道されていた。
被害がどうして起きたか十分に解析し想定外で片づけず人災は人災で対策を立てないと繰り返し悲劇が起こる。
それにしても想定外は便利な逃げ口上だ。
罹災された方々にお見舞いを改めて申し上げ死者の皆様のご冥福を祈念し合掌。




    カゲロウも現れ出でて桜餅        七一翁

2011年4月11日月曜日

節電してみて



どうも設計する人は家が売れるように華やかな照明を不必要につけていると我が家も含めてアパートや都心の建物を見て感じていた.
都心のどこへ行っても節電で薄暗いが今までの照明が明るすぎ過剰に電力を浪費していたのではないかと思えてくる。地下鉄の銀座線の地下道通路を思い出してみるとよい、現在の節電よりまだ薄暗かった,パリとかローマの方が暗いわねとおっしゃるおば様が歩いていた。
照明の時代になったのだと明るい電球や器具が開発され家の中も丸見えになるように輝く昨今だが、そこまで照明が必要だったかとアパートの廊下や門燈を消してみてまったく痛痒を感じない、これを契機に削減を継続し共用部門の電気代を節減したらよいと管理組合に提案したい。




    期待する候補おらずに花が散る       七一翁

2011年4月10日日曜日

アケビの花





今年も駅へ行く途中のお宅でアケビの花が咲きました、実をつけて秋に紫色に熟した実を見られるとよいのですが毎年いつの間にか無くなります。未熟な実を盗ってもしょうがないのですがアケビと知らない都会の田舎者がなっているからと持ち去るのでしょう。
枝を折るなとか花を盗らないでくれ鉢を持っていかないでくださいと札が下がっているのを見ると情けないと思う、むかしから花盗人と云う言葉があるが持って行って植え継げればよいが萎れた花や葉が付いた枝を持ち歩く輩を見かけるが気持ちが分からない。花や葉はその場所で見て価値があり美しさが最高なのです。


  花びらが舞い始めて花見好し       七一翁


   

2011年4月9日土曜日

ツバメ見ませんか

いつもなら駅の切符売り場や照明、町のパン屋の門燈などに営巣して神田上水を飛び交い商店による昆虫を夜遅くまで獲っているツバメが全くいないのです、作りかけたのか小さな巣が門燈の上に見られるところもあります。
例年3月22,26日頃には来ているのですが、全国的に見られるところは少ないようです。
観察している方よると来ていたのが急に見えなくなったと言われます、地震の影響でしょうか千葉、茨木、湘南地域、伊豆、名古屋地域、関西方面などにお住いの皆様のところは飛燕がご覧になられるでしょうか。
一番気持ちが悪いのは来ていたツバメが見られなくなった事です、日本を見限ったのでしょうか。
見られた方、見られない方でもコメントに書き込んでください、お願いします。




   待鳥が姿見せずに春は行く     七一翁

2011年4月8日金曜日

風評被害でおいしい苺が

娘が大きな箱が入った紙包みを持ち帰宅した、家人のバースデーケーキかと思っていたら大粒の苺が入った箱だった。
茨城県の農家の方が風評被害で苺が大量に売れずに困っているのを勤務先の会社で販売したのだそうだ、お父さんが普段だったら食べられないような高級な苺だよ、会社で行列が出来て買えない人も出たほどの人気だったと自慢げに話してくれた。
実にきれいな色で大粒で確かに庶民の口には入りそうもない苺が極めて廉価で買えたのだ、そして農家の方には申し訳ないが初めてこのような高級な苺があるのだと知りました。
写真は広大なNHKグランドのサクラの一部、数組の母親グループがお花見をしてました。




花咲くも何やら寒くツバメ来ず     七一翁

2011年4月7日木曜日

選挙公報

都知事選挙の公報が来ないので新聞屋に電話し聞いたら配布を頼まれていない、区の選管に問い合わせると業者へ委託し配布済みと言われさらに聞くと
お宅のアパートは管理人がポストへ入れるなと言うから入れなかったと業者から報告があり配布していませんと回答された。
選挙公報は投票日までに必ず配布するものであろう、管理人が断ったら有権者にその旨を伝えるのが常識ではないだろうか。
必要なら郵送しますと速達で送りつけて来た、断る管理人も常識が無いが徹底して配布しようという意識が無い選管のやり方にも困ったものだ、以前のように新聞に折り込んでくれるのが良いと思う。


 写真は井の頭公園のサクラ
 
 花咲いて憂いない顔振り舞いて     七一翁

2011年4月6日水曜日

花もきれいだが

 


やっと桜が咲き、待ってましたとばかり数少ない花見のグループが出来ていた、母親と幼児の集団やおば様、お姉さんの少人数グループがワインを開けて花を愛でていた。
花の時期は空気が乾燥し武蔵野特有の砂塵が舞うから気の毒だ、今日は風が殆んど無かったから良かったが例年は悲惨だが夜は気付いていない。
花に皆さん気をとられているのかヤナギの新芽が素晴らしく美しい、昔の大川端はさぞきれいだった事だろう。


 青柳の枝萌えてお化け留守      七一翁

2011年4月5日火曜日

レンギョウ

井の頭線の車庫の脇に毎年咲くレンギョウ、何処から来たのかと思ったら中国原産だそうだ。
サクラと同じころに咲く、葉っぱがどのような形をしていて落葉前にはどのような形をしているのか思い出せない。最近簡単な事が思い出せなくなって来た、鳥見をしていて名前が出て来ず背筋が冷たくなった事がしばしばある。
今年は葉が伸びてきたらしっかり記憶にとどめておこう、最近アカメガシワをやっと思い出した事を思い出した。


追記
 googleの航空地図で福島県大熊町や仙台港を検索して見ると津波の被害状況がもう見られる、手早い事に驚き、日本中が外国から簡単に見られている事だ。


レンギョウを今年も見られ皴増えて   七一翁

2011年4月4日月曜日

彼はクルミと知らないだろう

老人ホームのマサキの生け垣の内側にクルミ、センダン、ウメ、ビワ、ムクなどの木が植えられ毎年春に花が咲き秋に実をつけ、そこへ来る鳥の写真を撮らせてもらっている。
今年もクルミの花が咲いた、しきりに蜜を吸っているヒヨドリはクルミの蜜とは知らないだろうが吸ってくれる事で受粉が多分出来ていると推定している。
真冬のツバキ、サザンカからウメ、早咲きのサクラとメジロやヒヨドリは嘴や鼻先に花粉をつけて飛び回って来たが、ソメイヨシノが咲いてありつける蜜も終わりになって来ただろう。


   花咲くが震災あった重しあり     七一翁
お詫びと訂正


 木にクルミと名札が下がっていたのと毎年オニクルミが落ちているので


この木がクルミの木だと思っていましたが隣の木がオニクルミだと思いますので


お詫びし訂正いたします。


葉が出た時点で何の木か確認します、クルミは葉も花も異なります。

2011年4月3日日曜日

神田上水高井戸の桜

高井戸駅を出て直通の横断歩道橋を渡り環八の対岸へ出た、恒例の桜祭りが開かれると張り紙があった。若い人のバンドが来るようで例年は住人の芸人だったが趣向替えしたのか。
川岸の枝を見ると今年は寒さの影響か開花が遅れている、やっと咲き出した程度、例年だと八分咲きくらいなのだが。
サクラは寒さによるショックを与えないと花が咲かないようだが気温が低いと影響を受けるのだろうか。いつもは飛んでいるツバメも見られないし春が遅刻してくるのだろうか、被災地の避難所の事を思うと早く暖かくなってほしい。
サクラの名所へ行くと提灯や雪洞が並んでいるのは夜桜見物の照明の名残りだろうか、不釣合いだと思うが。




    高井戸で花愛でる人少なくて     七一翁

2011年4月2日土曜日

自粛は委縮につながる

被災地の方々の事を考え歌舞音曲を含む陽気な事は差し控えるようにと云う雰囲気だ、停電もあり皆さん盛り場へ出かけるのに躊躇している、大量の電気を使ったりする事で二次災害が起きるようなことはやめなければ無ないしどんちゃん騒ぎは控える方が良識だろう。
風評被害で困っている農家を支援するためにも盛り場のチェーンの飲み屋やファミレスは出荷制限の掛かっていない野菜類を食材としてそろそろ人を集めないと経済が委縮してしまう。


義捐金をたくさんされるのも考え方だが被災者の方々には少し遠慮して都庁が言う自粛を少し緩めて働く人の職場を確保し経済的に少し刺激しては如何か。
(以下追記)
と言う訳で夕方から外出した、6時過ぎだと言うのに紫煙充満しアルコールのせいか声高な話し声、
停電が無い金曜日、震災から20日を過ぎたので友人と会う方が多いのだろう、聞こえる話題は11日に如何に苦労して帰宅したかを飲み友のわが友人を含め皆さんが語っている、今日の話題はそれしかない。
自分の苦労を誰かに話してフラストレーションを払いたいのだ、避難生活でプライバシーも無い避難所の方々はどれくらい鬱憤や話したい事が貯まっているか。


反論は多いだろう、ご遠慮なく。


  花冷えの町萎縮して声も無し     七一翁

2011年4月1日金曜日

山爺さんとお目にかかる日

今日は例年の氏の流儀では山爺さんとお目にかかる日で張り切って待ち合わせ場所の四谷上智大学のキャンパスへ来た。江戸城外濠の名残りのある好い場所にある学校、外濠の土手にはタチツボスミレが咲いていて咲き始めた桜と併せて春の景色に申し分ない。
山爺さんが早くお出でになればよいのだがひざが痛むのかな。


山爺きてなにやらゆかしすみれぐさ     七一翁

カタクリの花

今年はだめかなと思っていたが咲いてくれた、もう30年以上前にこの近辺へ引っ越して来て、ここに生えてることを知り機会あるごとに眺めていた。
以前はもっと群生していたが盗掘に遭い減ったのだろう、土が変わると育たない事を知らない輩の仕業だろう、まさか本間物の片栗粉を作ろうとして芋を掘ったのではなかろう。
この花にギフチョウが蜜を吸いに来るはずだが、こちらも乱獲と食草が絶滅しこの近辺には生息しないだろう。




   仲間無く心細きかカタクリは    七一翁