2010年7月30日金曜日

ホウズキ


毎年、今時分空き地の道路寄りに植えてあるホウズキを見に行く、ホウズキの特徴か分からないが花が咲き実がつくと葉っぱが虫にやられて葉脈だけ残っている。もう少しすると果実の表皮もやられて網目の中に赤く熟した実が付いている。
どのような虫が食害するのか知らないけれど同じ時期になると同じ事が起きている。

このホウズキの果実のヘタからうまく種子を取り出して口に含み舌で空気を押し出して鳴らすのだが
最近これをやっている子供を見た事がない、もう廃れた子供の遊びか。

お知らせ
7/30より8/4まで旅行により休みます。


 短夜のカラス騒ぎて眠らずに   七一翁

2010年7月29日木曜日

身長が縮んだ


昨日今年度の区民検診を受けた、聞いて分かる血圧、体重、腹囲などは正常だったが身長が177cmと出た。あなたは高いからとわざわざ看護婦さんが椅子にのり極めて正確に測定してくれた結果だ。
一番長い時は178.5cmで50年以上維持していたが脊椎の骨と骨の間が狭くなり縮んだ。
人間が二足歩行し重たい頭を載せて歩いた結果がこれだ。腰が痛くて掛った医師がもう少しすると間違いなく椎間板ヘルニアになりますよと脊椎骨と脊椎骨がくっつき掛けているレントゲンを指し示しながら診察した。

アイス舐め至福の顔する幼児たち    七一翁

2010年7月28日水曜日

蚊遣り


昔は蚊遣り豚に蚊取り線香を炊いて蚊を防いだが
本当に効いたのか、臭いは強く道を歩いていても
路傍のお宅から臭ってきた。
最近は壜に入った液体を電気で加熱して殺虫剤を揮散させて殺虫している、気付かなかったが60日間消灯せず点けっ放しにしておく、何が殺虫しているのか薬品名を確認せず使い続けてきた。と云うことは継続して肺へ吸入していた、肺の中は煙草のタールじゃないけれど殺虫剤の結晶が肺胞の一部を覆っているのではかと思うようになってきた。
慌てて表示を見たらピレスロイド系だったから蚊取り線香の成分の親戚で強力製剤でなかった。

写真はシジュウカラの幼鳥




カラスウリ人知れず咲く短夜に    七一翁

2010年7月27日火曜日

やんちゃなドラマー


テレビを見ていると嵐を呼ぶ男のメロディーが流れて俺らはドラマ、やんちゃなドラマと歌っている声が聞こえてくる。最初は聞き間違いかと思ったが、そうではないのだ。
本当はやくざなドラマーのはずだが巧妙に変えてある。
やくざと云う意味は暴力団のメンバーもあるが、どうしようもない事や物を指していう場合もあると思う。
この包丁はやくざな包丁で何回砥いでもすぐに切れなくなるとか、やくざな大根で大きいがスが入っていて食べられないとか。



写真は国学を収めて禰宜さんを養成する学校の高校
土日夏冬の休みなく生徒が登校している凄い。

カナブンに蟻群がりてばらされて  七一翁

2010年7月26日月曜日

やっと見つけた





セミが鳴き出して3週間くらい経つが抜け殻とセミを探していた。
ニイニイゼミから鳴き出したはずだが見つからずアブラゼミだ。
今年はセミが鳴く数が少ないから無理もないのかもしれないが
泥んこの抜け殻も見たいものだ。
早朝起きだして脱皮し羽化直前の羽根が淡水色の不透明な
姿をしていたアブラゼミを見て驚いたものだ。
早朝に羽化している姿とカラスウリのレースの花を撮りたいと思うが毎朝忘れている。


青筋の蝶飛び周りクスふとし  七一翁

2010年7月25日日曜日

みんなこいこい


時は人皆恐ろしがる未の刻、草木も萎える昼下がり、神田上水は富士見ヶ丘車庫付近、水量は余り減ってはいないが昼寝をするのか、水温が高く溶存酸素が少なく呼吸できず、酸素を出してくれる水草の繁茂するところに集まったのか、来い来いと友を呼んだような光景、これが進むと酸欠で川の鯉もとニュースになるのだろうか。



お八どき未か申か皆んなこい 七一翁
(少しかけすぎたかな)

メロンの網


先日マスクメロンを手に取りしげしげと眺めた。
いつも食べるだけで網の目がどうなっているのか見たことがなかった、或いは貴重品だったので食べられなかったので見る機会がなかったのが正解だろう。
横から見ると左右で網の密度が違う、多分左側が日当たりが悪く影になった方で網目に密度が高い、つまり成長が遅れている。
右側は網が粗で伸び伸びと育った感じだ。
最近スイカを丸ごと買うことが無くなったので分からないがあの黒い筋も何か傾向があるのかしら。




メロン食べ子等想い出すこと無し    七一翁

2010年7月24日土曜日

大暑


昨日は大暑、このところの天候にまさにふさわしい。
冷夏と予想されていたのが外れて厳しい気温だ。暑さに対応出来るように建てられていた日本家屋でも最近は建材が異なるし、その土地の陽射しを考慮してひさしや窓が造られていたのが一律の設計で建てられたお宅が多いからわが家のような集合住宅と同様に暑いでしょう。
住宅が建て込んで風通しが悪かったり、照り返しが厳しかったりする悪い条件もあるけれど熱帯以上の気温と湿度が続くようでは住まいの建て方を変えなければならないだろう。




暑さ避けさ迷い歩く大暑かな   七一翁

2010年7月23日金曜日

葛餅


先日、久しぶりで葛餅を食べた、吉野葛の本物と言ったらおかしいが最近他の澱粉を混ぜたりしたものがあるらしい。
現在は吉野葛を国内で採取するのは大変らしい、地下何メートルも掘って取るのだが取り尽くされて大きいクズの根を探し当て掘り出すのは至難の業ですよと食品の展示会でクズを販売している店主が語っていた。

クズと言えば葛根、と言えば葛根湯 と言えば葛根湯医者ですねえ。

話を葛餅に戻すと弾力性があり黒糖蜜ときな粉がマッチして美味しかった、先人が黒糖蜜で食べると美味しい、更にきな粉をまぶすと更に旨さが増す(或いはきな粉が先かもしれないが)事を気がついて発展してきたのだろう。僕が葛餅を今まで食べなかったのは久寿餅という小麦粉を加工して作ったものと混同していたからだ。


熱帯夜灯による虫が少なくて   七一翁

2010年7月22日木曜日

モンキースリップ


どなたかがモンキースリップが咲いたとだいぶ前に書かれた、我が家付近では咲いていなかったが上水をぶらついていたら小さな木を見つけた、この花が何処でも咲きだしたら真夏が来たと言える。
この木は広いお庭に如何にもサルスベリといった幹で苔むした岩の脇やつくばいがあったり、築山の向こうの植えてあったり日本の木だと感じさせるが
残念ながら我が家には、そのようなん庭が無かったから自分の家で見たことは未だない。
誰だろう猿が滑ると思って名付けた人は。


暑さから禁足令よ雀の子   七一翁

2010年7月21日水曜日

もう一つの熱中症


農作業をしている人や屋外で作業している人や運動場で運動している人でもあまり罹らなかった日射病が熱中症と名前が変わり高温の室内にいる人まで罹る様になった。3年前に熱中症とは思わなかったが入院した話しは此処に書いたのでご承知の方もあろう。

僕は何かにハマると夢中になってしまい、人様はお構いなし、時間も関係なしとなることがある,鳥見も始めた頃はそうだったが。
ソフトバンクの孫社長が目玉が飛び出すくらい勉強し飛び級で高校大学を卒業し、目から血が吹き出すくらい翻訳機の開発に熱中し頑張ったと語っていたが僕は勉強は全く熱中しなかったが仕事では一度だけある、社宅に部下が数人止めてくれと文句を言いに来た。
ついに完成し原価節減で年間三千万円、それよりも新たな製造技術を確立した事が自分では大きい。
もうこんなに熱中することは遊びにしても無いだろうと思っていたがなりかけていることがある、見境が無くなってきたら、これが書かれなくなるだろうから分かるでしょうし、家人から又熱中症になるでしょと言われるから水分補給し頭を冷やしているからならないかもしれない。

写真はミスジチョウ(6月~8月くらいの期間飛び回るそうです)


瓜食めばオクラ並びし我が夕餉  七一翁(ひどい捩兄)

2010年7月20日火曜日

ミズヒキがもう出た



秋になるとみる花だと思っていたが初夏から世に出ておりのだ、そして日本からヒマラヤまで続いて生育しているようだ。
上から見ると赤、下から見ると白い花だから水引の花の由来となったそうだが下から見て白くないんだ。
何か見方が悪いのかもしれない、手に取ってみたいのだが生えているところが犬のトイレとなっており異臭がするから手が出せない。

静かなる校庭で鳴くセミ一つ 七一翁

2010年7月19日月曜日

いた、見つけた


梅雨明けしそうだったのが真夏となった。
明けたからといって生き物が旗日に盛り場へ人が繰り出すようには出て来れない。天候、気温もさることながら餌が無ければ生きていけない、先ず餌となる動植物が出て来て活動し、それから夏の生き物が出てくる。
しかし雨が続かなかったが何日かはにわか雨が降ったので蚊が増えたのだろう、ムギワラトンボを見つけた、デンキトンボが毎年飛ぶ池に行ってみたがいなかった。
麦わら帽子をかぶり捕虫網を持って池にイトトンボ、シオカラ、アカネ、ヤンマが飛び回るところに行きたいな、もうないのかな。


メロン切る刃先光りて暑い午後  七一翁

2010年7月18日日曜日

なつかしい夏の匂い


梅雨明け状態の続いている(宣言してもよいと思うが)昨今、玉川上水はすっかり夏モードだ。
しかし昆虫がかなり少なく飛び回る蝶を撮ろうと思ってもモンシロチョウが僅かいるだけ。
そんな上水を散歩していたら何だか僅かに甘いかすかに発酵している匂いがして来た、子供の頃に真夏の初め、雨が止んだ後の森で嗅いだ匂いだ。その匂いが此処でするとは、心をわくわくさせて匂いの発生源を探した。
あったのだ、上水にせり出した木から樹液が出ており、そこに昔と同じようにカナブンと蝶が集まっていた。
夢中で樹液が発酵した汁を吸っている、うまくするとカブトムシ、クワガタムシが来ているが今日はいないと言うかこの辺りにはもう生息していないのだろう。
カナブンと蝶ばかりだったが、懐かしいかすかな匂いをかぐことが出来て今日は満足だった。


青空にオニユリ咲いて梅雨明けず  七一翁

2010年7月17日土曜日

印象派


出かけたついでに「印象派はお好きですか」と銘打った展覧会を観てきた。
新美術館の後期印象派を集めたオルセー美術館展は待ち時間が必要で混雑しているようだが、こちらは人がまばらで冷房が効いていて気持よかった。
この美術館が所蔵する絵画の中で印象派の作品を集中して展覧しており過去に見た作品もあった。
モネ、セザンヌ、ルノワール、ゴーガンが主体でゴッホは一点しか無かった。日本の印象派として黒田清輝、山下新太郎、安井、梅原画伯の絵も数点あった。僕は単純だから分かりやすい明るい絵が好きでルノワール、モネ、安井が好きだ。

写真は新美術館のアン・リールソーの蛇使いの女を捩った積り


道を掘る工夫ら休み缶珈琲  七一翁

2010年7月16日金曜日

行かなくて良かった


鉄ちゃんが心の中で揺れ動いている、お前最近何をしているのだジパングにも加入し安い運賃で出かける手段として考えていたのだろうと。
以前から中央西線、飯田線に乗りたくて何時出かけようかと考えていた、子供の頃から鼎駅で写真を撮りたいのだ。
昨日、頼まれた事があり出かけられなく結果的に良かったのだ。
月曜日から木曜日にかけて出かける計画をしていたがigoogleの全国鉄道不通箇所のがジェットに飯田線、中央線、東海道線が大雨のため不通と出て来た、用事が入らなければたぶんもろに引っ掛かり何処かで途方に暮れていただろう。
まだかなり未乗車区間が残っているしロンドンーパリ、ローマーフランクフルト、北欧の郵便船などなども計画はしているが一人旅の不安で踏ん切りがつかず時刻表が古くなってしまう。

年をとり臆病になってしまった、世の中をやっと知って来たからかな。

雌探し池巡りおるトンボかな   七一翁

2010年7月15日木曜日

寂しい我が農場


農場の園主は僕ではない、家人が一人で作業しておりゼラニウムをテラスの仕切りの上に並べて絶えず花を咲かせ、種々の香草の鉢植え、目隠しのヒッコリーや種々の低潅木の鉢植えが狭いところに置いてあり水や肥料をやっている。
私の仕事は鉢植えで古くなった土を公園へ差し上げる事のみ、昨年までは葉を食べている幼虫が何処にいるのか見る役目があったが、今年はアゲハの好むパセリ、サンショウに全く妖精たちが来なくなったしナンテンの花へハチがやってこない。
近所の公園やお宅の生垣などを見ていてもいない、どうしたのだろう。家人が自分で見つけた場合に悲鳴をあげるが、今年は全くないのだ。

写真は上水の多分コオニユリ・・・・小さなムカゴが沢山ついていましたから小さくてもオニユリ
でした。追記し訂正します。

この夏もスイカ切る手にシワ増える  七一翁

2010年7月14日水曜日

変わった花

神田上水を歩いていたら植え込みの下草にオシロイバナが植えられていた。
よく見ると赤い花の株と黄色い花の株があり今盛りと咲いている、これを良く眺めると
赤い花の半分、黄色い花の1/3が赤色と混血の花が見られる。
たぶん隣の株から花粉を運ばれ受粉し混じってしまったのだろうか、自然界で混血雑種や
新種と言われる生き物はこのようにして発生していくのだろうか、野鳥の中でもカモ類は
混血がよく見られカルガモとマガ、オナガガモと混じり首はマガモで体はカルガモという
スフィンクスが珍しくない。




2010年7月13日火曜日

口は災いのもと


野党の党首の喋りに乗り、思いつきのように余計な消費税を喋ってしまい有利だと言われていた選挙を敗北した与党党首。
言わねばよい事を喋ったために風向きが変わった、口は災いの元の最近の良い例だろう。

写真はヤブミョウガの花



ポスターの笑顔むなしきヤブミョウガ 七一翁

2010年7月12日月曜日

選挙の投票


娘が旅行に出るから期日前投票に行くと言い出したので期限ぎりぎりに投票に行った。
4枚の投票用紙があるが候補者になじみが無く公報を見てからずっと迷っていたが、何とかした。 
不在者投票から期日前投票と呼び名が何時から変わったのだろうか、昔一度不在者投票へ行った事があるが昨日まで気付かなかった。

早めに投票しておくと天候など気にしないでも良いから気がらくだ、次回からは先に投票する制度を利用することに決めた。

写真はノウゼンカズラ

2010年7月11日日曜日

ユリが咲き出した。


上水ではヤマユリが咲き出したと言っても、そこ此処にあるわけではない。
聞くところによれば花を取らないで、株を掘らないでと愛好者が立て札を立てているが何者かが盗んでいってしまい数が減っているようだ。
ここのヤマユリは良い匂いを放っているが見ていても虫が寄ってこないがなぜだろう。
上水でコオニユリが一箇所だけ蕾を付けているが明日か明後日開花するだろうと楽しみにしている。
ところで冬になるとおが屑の入った箱に入れられ八百屋の店先で見る百合根を見ても僕には種類がわからない。


写真は公園のヤマユリの株の一部

ヤマユリの香り誘いて止まる我   七一翁

2010年7月10日土曜日

これを見ると


この花を見ると元気を貰えそうな気がする、いつでもキッと空をにらむように咲いている。青空に黄色い大きな花は如何にも元気ですとすっくと立っている感じがあるからだ。

日輪と書かれるからには根拠があるのか調べてみると若いころは太陽につれて動いているようだが、このように完全に咲いてしまうと動きはせず完全に東を向いたまま止まっていると書かれていた。
ヒマワリで思い出すのはタネを食べて美味しかったことだ、中華料理屋で料理が出来上がるまでのお茶うけとして皿に盛られて出て来て食べた、油があり初めて食べた時には子供心にへーつと思った。

この花の種が完熟するとワカケホンセイインコが食べに来るが実に器用に皮をむいて食べる。誰も花が咲いたら見向きもしないから野生化した鳥のご馳走になって繁殖を助けているのだ。

夏草や雨の合間に虫動き  七一翁

2010年7月9日金曜日

セミの鳴き声

我が家付近では未だセミの鳴き声がしないけれど公園では約一週間前にセミの声を聞いたと書き込みがありました。
似た様な土地柄は一斉に鳴き出してよさそうなものだが産み付けられた卵の数の違いによるのか、その土地の環境に因るのか差が出ている。
今頃、初めて聞くセミはニイニイゼミだと僕は記憶しているが地域によって一番先に鳴き出すセミの種類が違いがあるのだろうか。
セミの鳴き声もその年初めて聞くのは風流だが、暑い盛りの大合唱は困りものだ。




初セミの声聞こえ来てひと和む  七一翁

2010年7月8日木曜日

野鳥とビワ


老人ホームの庭、公園等にビワの木が見られる、大きな果実、小さな果実がたくさんなっている、木の実の大きさの違いは何に因るのかとかねがね思っているが解決にいたってない。野鳥の餌が少ないこの近辺で貴重な餌である、完全に熟していないのに野鳥と言ってもヒヨドリ、ムクドリ、スズメだが声を上げて仲間と連絡を取り集団で食べに来ている。ビワは残念ながら中心に大きな種子があり上手に食べていない、果肉を半分食べた所で啄き過ぎたのか落果し根元に腐りかけて落ちている。
せつかくの果実だ、もっと上手に食べられないのと教えてあげたい。
或いはこの程度で落下し地面で発芽出来る機会が多いのだろうか。

写真はムクドリ、先にヒヨドリと書き間違えました、ご指摘感謝。

しぼみたる朝顔一つ雨の午後  七一翁

2010年7月7日水曜日

一過性


昨日昼のニュースを見て驚いた、郵便会社の社長が郵パックは従来から一日程度の遅れはあり、今のこの遅れは一過性だから心配ないと思っているとコメントしたがさすが夕方には定番のおじぎとコメントに変わっていた。
よしんば一過性にしても、その中に巻き込まれた顧客の立場をなぜ考えられないのだろうか、一日遅れは当たり前と公言する社長は過去にどのような仕事をしてきたのだろうか。楽しみにしている荷物を門の前で待っている子供を想像できないのか。
一番忙しい時に会社を切り離し荷物を二倍にした経営判断はどこから発想したのか。
オンラインがつながらない銀行、原子炉の操作マニュアルが無かった電力会社、リストラし操縦士がピーク時に不足することを気づかなかったJAL・・・・漫画や漫談の話なら笑って済ませるが必ず弱き者から被害者が出る事が多すぎませんか、僕が死んで届けを出しても扱い量が多いから又にしてくれと云う世にはならないで。

写真はミヤマカラスアゲハ

カエルさえ逃げ惑うほど雷雨かな

2010年7月6日火曜日

多分カイコの親戚



我が家付近は20年くらい前までは畑が多くあり養蚕も一部では細々と行われていただろう。僕と同世代の大地主の方の話しだと彼の母上は立川の養蚕農家から指導に嫁入りして来たそうだ、多分昭和の初めか中頃だろう。八王子という一大養蚕地域があったから当然生糸商人がこの辺りまで普及させただろうし水がないから稲作が出来ず、生糸が現金収入だったろと僕は推定している。
その名残の桑の木が今でも所々で見受けられる、桑畑の端っこだったのか、鳥が種を落としたのか樹勢はよくないが生き残っている。
それに写真のようにカイコの雑種だと思われる幼虫が桑の葉を蚕食しているのが見られる。

この格好が特急電車の先頭部分によく似ている、フィンダーで見ながら、これからデザインしたのかなとJR東日本と北海道の車両を思い浮かべていた。

灯をつけど集まり来ない夏の虫 七一翁
(毎年定期的に調査している公園の観察によると減っているそうで、飛んで火に入る夏の虫は
 死語になりそうです)




2010年7月5日月曜日

キキョウ


昨日神田上水を散歩したら毎年見る場所でキキョウがもう咲いていた。多年草だから株があり毎年花をさかせるのだろう、日本画を見るとキキョウが庭の隅などに書かれている場合が多い。極東の場所に生える植物らしいので西洋の絵画やデザインに登場しないはずだ。近頃は種々の国で園芸用の植物を栽培したり交配改良しているから西洋画にも登場する日が来ないでもないだろう。
秋の七草がもう咲くなんて万葉の時代には全種類揃って咲いていたから秋の七草としたのではないのかな。

 暑いです交わす人々車降り  七一翁


2010年7月4日日曜日

クチナシの花


記憶違いでないと思うが歌謡曲のクチナシの花が流行る以前は公園などの植え込みにクチナシが植えられており今頃は良い香りを嗅いだ記憶がある。
クチナシは昆虫などの食害があるから嫌われるのか、生育がよくて伸びるので手入れが頻繁に必要なのか清楚な花だけど見られなくなってしまった。
昔は種子を漢方の原料や染料として使い現在も食品を黄色く染める食品添加物の原料として使われており梔と難しい字を書く。
写真の花は神田上水に何箇所かあった植裁の唯一残っているものだ。よそのお宅の庭でも余り見かけずアジサイが勢力を伸ばしているような気がする、見方が違っているだろうか。

蛸僅か突き出しにあり半夏生   七一翁

2010年7月3日土曜日

収穫


物干し場農場のミニトマトがやっと色づき収穫期を迎えた。餌が少ないこの周辺ではオナガ、ヒヨドリ、ムクドリ、ハシブトカラスが食べごろを期待して待っているだろうから観賞用として眺めていたいのだが
家人が今朝2個収穫した。
家庭で栽培した野菜や果実を食べるのは何年ぶりだろうか、中頓別の社宅は畑があったから酪農課に頼んで牧場の牛肥を入れて馬鈴薯などを作った記憶がある。多分それ以来だろうから30年くらい前の話だ。
収穫したトマト一つを半分ずつ食べたが甘酸っぱい味がしたがトマトの味はしなかった。
台湾カゴメの方から色づくのは朝晩の温度差があるほど色付くので高原で栽培していると教えてもらった。温度差の無い我が物干し場農場では当分色づかないだろうし飢えたる物がその日は来たりとばかりに食べてしまうかもしれない、こればかりはインターナショナルだ。(少し難しかったかな)

アンデスへ先祖返りか我がトマト  七一翁(ペルーの原種と言われるトマトはミニトマトくらいでした)

2010年7月2日金曜日

ゴーヤの畑

散歩道のキウイ畑は網で囲いニワトリを放し飼いにしている,この糞を利用し季節の野菜を栽培し透明な扉がついたコインロッカーに入れて無人販売している。道路をはさみ反対側にゴーヤが一畝あり目の大きな網みたいな紐に這わせて栽培している。先日来,花が咲いて来たのを見て通っていたが畑を荒らす挙動不審者と思われても困るので,気の弱い僕は余り覗きこみもしなかったし写真を撮らないでいた。
先日,畑の空いたところで草むしりする人がいたので写真を撮らせてくれと断りを入れて撮ろうとした。
棚というか網に這わせた表面は花だけ,裏側にはあるのだろうと隙間から覗いて驚いた,写真の一個しかなっていない、もうコインロッカーに入れて販売してしまったのかもしれないが,この季節に一個しか無いとはビックリした。
豚骨を大きな鍋で煮込んで脂まですくい取った出汁に煮干をくわえて,他の香辛料と厚めに輪切りにしたニガウリを入れて柔らかくなるまで煮込んだ
湯(スープ)が安くて美味しかったが名前を思い出せない。


  残りおるカンゾウ咲いて草伸びて  七一翁

2010年7月1日木曜日

ベニシジミ

武蔵野で珍しくない蝶であるが最近は見る機会が減った。食草が少なくなったからだろうがヒメスイバやギシギシは雑草だし,そこら辺に生えていると言っても彼らが生きて行くために食料とするには数が少ないのかも知れない。人間の営みの犠牲に,このような可憐な小さな生き物までが影響を受けているのだ。

食草(食べ物)も伴侶も少しベニシジミ 七一翁

七夕の短冊

新暦では今日から七月、子供のときは笹を取ってきて七夕の短冊を書いて飾りを作った。母が里芋の葉に溜まった朝露を硯に受けて墨をすると習字が上手になると言った事があり、名古屋の家の家庭菜園の里芋へ露を取りに行った。これは本当は別の植物の葉から集めるのか,七夕でなかったかもしれない。今ふと違う行事だったかなと思ったが今冬に母が逝ってしまったので確認しようがない。
今は筆ペンとか毛筆の代用品があるが、硯に向かい墨を磨らなければ事が始まらなかった。墨をすることで心の落ち着きが出来、今のようにパソコンにいきなり書き込み,それで終わりでないところの良さがあった。

昨今のように地球が破壊され四季の移ろいが無くなってきて日照りか土砂降りかになってくると朝露を踏んで歩くとか,朝露に裾を濡らすと云う風情が無くなってしまうのか。

そよと吹く風に揺られて朝露は 七一翁