2011年3月31日木曜日

あたかも天下泰平のように

震災の被災者の方、原子炉の処理をされている方には申し訳ないが鳥見に出かけている。
被災地へお手伝いに出かけても、この年寄では出来る事は限られているか逆にご迷惑をかけてしまう場合もあるので力仕事や配送は不向き、登録している仕事は時と場所によっては必要らしいが僕の処へは連絡が来ない。
テレビで支援や救援の拙さを見ていると腹が立ったり涙が出て来るので表へ出る事にした、それも歩いて出来る事、つまり鳥見。
他人はのんきだと思うかもしれないが、一番誰にもご迷惑にならない・・・・鳥には迷惑かもしれないが。




    ボケ咲いて原発事故を人憂う      七一翁

2011年3月30日水曜日

桜が開花

公園の池に張り出している枝で桜が咲いていた、まだ一枝だけだったが今日の陽気に開花したのだろう。
公園では花見を自粛しろと掲示が出ている、しかし若者は何組ももうシートを敷いて酒盛りをしていた。
余り自粛自粛では経済が回らないだろうし自粛とは自分から中止する事ではないか。
毎年凄い量のごみが出るから、飲み食いの客が出なければ公園は助かるだろう。




 花咲いて何やらうれし池の淵     七一翁

2011年3月29日火曜日

また季節が来ました

修道院の林を覗いたらハシブトカラスが何か地面に落ちているものをしきりに集めているようだ。
よく見ると小枝、枯れた草の茎や葉だ、もう営巣の時期が来たのだ。
未だ針金ハンガーを盗りに来たり運んでいるところを見かけないが、これからしばらくはカラスの行動に注意しないと怪我させられる時もある。
巣で雛が孵化すると神経質になり攻撃的で二回ほど襲われた事があるが、いきなり頭上から攻撃してくるから驚いた、一度は広い原生花園の木道の上でどうしようもなく子供をかばいながら買いたてのカメラを振り回して防いだが反復攻撃を元来た道を戻り逃れた。
皆さんもしばらくはカラスの挙動にご注意を。






    巣作りにまた忙しく花も見ず   七一翁

2011年3月28日月曜日

消えた行列

先週月曜日に水道道路の2軒のガソリンスタンドはエンジンをかけた車の行列で臭くて迷惑だった。
しかし先ほど同じ道を歩いたらスタンドには店員の若いお兄さんが一人冷たい風に吹かれて立っているだけ、人っこ一人いない。
目が合ってしまったので、どうしたの行列が嘘みたいと言ったらそうなんです、皆さん満タンにしたから入れる人がいないんですと。
この辺りは住宅地だから行列は高級な外車から乗用車が殆んどで中には老人ホームの送迎バスが数台いたくらい。
その時に不思議に感じたのはガソリンが無いから入れに来て並んでいるのだろうにエンジンをかけて
並んでいる事だ。
某国の地震時は行列の一台ずつが協力し押してスタンドへ入れていたのを見た。




 木蓮と雲の白とが晒し合い      七一翁

2011年3月27日日曜日

ヤナギの芽吹き

公園の池のふちの柳が芽吹いて、きれいな色をしている。
昔恋しい銀座の柳・・・・と確か藤山一郎さんが歌っていたと思うが、柳は川の土手などによく植えられている、理由は根をよく張り土手が崩れるのを防ぐかららしい、柳があったころの銀座は埋め立て地だったからヤナギで地盤を持たせたのだろう、鬼平犯科帳に出て来る川端もヤナギだ。
川に行くと土手にヤナギが植えられている堤防を見かけたが最近は何も植えられていない、河原へ続く河川敷も公園とかグランドとなり種々の灌木や草原が無くなって、定期的に散髪が来てきれいに草刈りをしてしまうからヒバリなどの野鳥もいない。


やっと出た新芽啄ばむシメの群     七一翁

2011年3月26日土曜日

風評被害

源さんは昔一緒に働いていた仲間だ、やっと電話が通じて地震の被害を聞いたら開口一番原発の風評被害が更に強くなるだろうから野菜つくりもダメだ、自分ちで食べる分だけ作るよ、欲しければ着払いで送るからと言った。
会津でさえ福島県と云う事で牛乳から野菜から売れないんだから中通りだってだめだわい、二三年は稲はだめだといつも火の玉小僧だった彼の口から農業をあきらめるような話しが出るとは思わなかった。
岩手や宮城は復興すればよいけれど福島は手間をかけても風評被害にやられるんだもの、当分は自家用作物のみだそうだ、福島県の中通りや会津の人が風評を気にして野菜や作物を作らなくなったら
我々は満足に野菜や果物、牛乳が手に入らなくなる。




   もう春と予報聴くたび遠のきて     七一翁

2011年3月25日金曜日

年輪

最近、期末の影響で公園は造園業者が入り安全確保との理由で樹齢百年はあろう針葉樹とか堅果がなる木々を切り倒している。
昨日までしっかりと太い幹を伸ばしていた木が無くなり切り株が皮を剥がれ白い肌をさらし切り口を面取りされて残っているさまは、自分が切り倒されたような気がする。
伸びすぎたり、樹勢が無くなったり、横に伸びてしまったりと理由は種々だが体が動かなくなったり寝たきりになったからお払い箱だよと宣告されたような気がするのは考えすぎだろうか。
写真の切り株は公園とは違うが年輪を数えてみるとアバウトで80くらい、僕より少し年配だ。
年輪に関心を持ったのは唐招待寺が何時頃建立されたか地垂木に使われていた木材の年輪から分かったというテレビ番組を見てからだ。


 うたた寝の背筋寒さぞ彼岸過ぎ     七一翁

2011年3月24日木曜日

放射線測定値

農作物、海水、水道水などから放射線が検出されたと各地の行政機関が発表し基準値や暫定値を超えているから回収とか食べるな、出荷禁止と発表している。
多分国民はこれを見て混乱しているだろう、特に水道水を乳幼児に飲ませるなと発表されては若い母親はパニックになり鉱泉水を買いに走り、買いだめが起こっているのでは。
この暫定値や基準値は何を根拠として決めたのか、国際機関例えばWHOの基準値は幾らなのか、そして核種は何なのか、半減期は幾らかはっきり公表し、それゆえ飲まない方が良いと発表すべきではないか。
過去にも水爆実験の死の灰、チェリノブイリ原発の原子炉崩壊など放射線で大騒ぎをした、欧州の一部地域ではひどい汚染があり基準値が決められたはずだ。
測定器があり測定した結果を発表するのは自由だが人体に本当に影響があるのかまで踏まえてしないと過去に食品や農作物を測定した機関がこぞって発表し混乱させた事を思い出した。
防潮堤があるから津波は大丈夫だと避難しなかった事例が報道されている如く本当に危ない危険な時にオオカミが来たになりかねない。


台北で知り合いになった友人が台北から買って帰国した放射線測定器を浅草の事務所に置き実況しています。
http://www.ustream.tv/channel/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B5%85%E8%8D%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E5%80%A4-asakusa-tokyo

咲きだした辛夷知らぬか大地震    七一翁

2011年3月23日水曜日

一丸となって



この震災の被害が大きく、また物理的な障害が被災地をかなり離れた場所まで計画停電という形で影響を及ぼしている。
被災地の方がまた復興してみせるぞと悲しさを打ち消すように叫んでいるが明治、昭和、チリと大きな津波を近年でも3回も受けているだけに、今度は化け物津波を防げる防潮堤を作って,もう一度同じ目に合わないように国はして欲しいものだ。
ところで新聞、テレビでは日本は再興出来る、国民一丸となってこの難局に立ち向かおうなどと論調が現れ始めた。確かに世界の人々へ物質的に影響を与えるようで、これはまずい。
また町の中では節電、節電でうす暗くて憂鬱だし、盛り場は人がいないし買占めはあるので、これが解消するまで世は「戦地の兵隊さんの事を思いなさい」とか「欲しがりません勝つまでは」とのスローガンで育った時代には「立て一億火の玉だ」になりかねないと憂慮し良い方向へ行けば問題無いが今の様子を見ていると国民が一丸となり立ち上がらせるリーダーシップを示して率いてほしい。


    余震来たさみしき道の寒桜     七一翁

2011年3月22日火曜日

許せない奴

昨日牧師が妹さんを探しあてて石巻から帰還し状況を知らせた。
その中でひどい奴がいる事を聞いた、よそから入り込んで倒れている家や道端から避難所から金品を
盗む輩がもう多数いると云う事だ。
火事場泥と言う言葉が昔からあるが、人の災難に付け込んで他人の財産を持ち逃げするとは言語道断、捕まえて市中引き回しのうえ死罪に処さなければ。






  木蓮がほころびかけて震度3     七一翁

2011年3月21日月曜日

ボランティア

数年前に区が災害時ボランティアを広報で募集したので恥ずかしながら外国語通訳で応募した。
それから全く連絡が無く二日前にe-mailが来て地方公共団体の集まりが外国語翻訳と運営スタッフを募集しているから通知内容を読んで応募してくれと書かれていた。


翻訳する外国語は10言語以上あり、なるべく希少言語を望む、スタッフの活動場所は団体の研修所がある滋賀県大津市と書かれている。
mailを発信した区の係に電話し区として区役所で救援物資を受け付けて発送するとか、別の仕事はないのかと聞いたら区としては義捐金募集のみです、区役所に募金箱がありますからお出で下さいと言われた。
その係は今回大災害が出た南相馬市と災害援助協定を結んでいる窓口で区長が代るまでは相互に救援物資を送ると発表し野馬追を見に行ったのですが。


月満ちて明るき道や沈丁花       七一翁


 数年ぶりに深夜に駅へ出かけた道すがら蕪村の句が浮かんできました。

2011年3月20日日曜日

どうして違うのだろう



外国駐在時代から感じているのだが日本の自国に関する報道が外国で報道されている内容と異なる事だ。
例えば首相が辞める、内閣が代わる、今回の原発など全て先先と報道され、内容は厳しいし深刻な内容だが結果として正確で首相が辞める。
見本として今回の原発について何日も前にスリーマイル島以上の事故で日本の技術では処理出来ないから米軍が処理を申し出ているとか沖縄に核処理部隊が待機していると電子版で報道されていたので、コピーしてblogに貼り付けたが文字数が多くてはねられた。
これも政府がやっとスリーマイル島と同じレベルとやっと発表。
ある人はCNNの方が早くて正確だという、今回は国民をいきなり恐怖に陥れないために配慮しているのかもしれないが結果として行政は遅い、後手だと批判されている。
同じ事件で当初発表される数字が異なり、事件内容が違い、後刻国報道と同じになるのは何故だろう。


   木蓮の拳緩んで人生きて     七一翁

2011年3月19日土曜日

我が家の蝋燭

非常用に懐中電灯3個と予備乾電池、蝋燭が常備されているはずだった。
しかし電池は期限が切れ使えない、蝋燭は停電用の蝋燭は何処かへ行ってしまい「ロウソク」とラベルが貼られた木箱に入っていた蝋燭は外国へ出かけた方のお土産と昔デコレーションケーキを作った時に余ったものだった。
今蝋燭を買いに行っても仏壇用かデコケーキ用で照明に使う芯も胴も太い照明用は無いようだ。
以前テレビを見ていたらハゼから作る日本古来からの薄黄色の木臘があまり売れないと言っていた。
今後は蝋燭は余震で倒れたりしたら危ないから乾電池を使い照明になる蛍光灯ランプを用意しなければならないだろう。




 木蓮の花開きかけ子ら見上げ    七一翁

2011年3月18日金曜日

シロバナタンポポ



神田上水を歩いているとシロバナタンポポが五株ほど咲いていた、この道は鳥見街道だがシロバナタンポポが咲いているのを初めて見たのだ。
この種は日本在来種で西日本に多いと検索してみると書かれている、黄色い在来種が突然変異を起こし白花になったのか、その逆で白い花が黄色になったのか分からないが、この辺りでは極めて珍しい。
誰かが種を蒔いたのはほぼ一列に咲いていた,皆さんお住まいの処でご覧になれますかお教えください。


また寒く花頑なに身引締め   七一翁

2011年3月17日木曜日

皆さん無事



東北は3回勤務したので知り合いや仲間が多い。
今朝やっと最終勤務をしていた工場へ電話がつながり皆さん無事が確認出来て全ての方の安全が確認出来ました。
場所によっては津波で浸水、震度7の隣町では家の中がめちゃくちゃとか災難はあったようだが命は無事でよかった。
お互い使っている携帯が白い犬の会社の方がかなりおり今朝やっと通じましたと言ってました、規制していたのか会社の規模が小さいので設備能力が不足なのか確認できなかった原因でもあります。
ガソリンが無くて通勤出来ないと東北の小さな町らしい悩みをこぼしてた。






  見上げるとミモザ開きて家揺れる   七一翁

2011年3月16日水曜日

ミツマタ



公園にミツマタが植えられて和紙の原料であることを子供たちに知らせている。
この辺りではこの花が咲きかけると春が来たなと感じる、ミツマタの由来はつぼみが3個見えるとおりで枝が三つ又状になっている。
このミツマタからどのように和紙を漉くのか詳細は知らないが、この木を杵で搗いて繊維を粉砕しているように見えた。
寒い冷たい寒の時期が製造時期ともテレビでは紹介していた。






  春が行きつ戻りつ葦つのぐ     

2011年3月15日火曜日

今年は楽しみです

医者様へ徒歩で行く途中、高井戸駅を通り抜けたら横断歩道に吉例になっている神田上水の桜祭りの看板が立てられていた。
毎年立てられているのだが余り気にしなかったが、今年は地震の憂鬱がありきれいに桜が咲いてくれて嫌な気分を吹き飛ばしてほしいものだ。
此処の桜はかなりの樹齢で老化が目立っておりいつまで見られるか分からない、区では切り倒したいようで掲示を出したら反対が多くて中止したとの掲示が出されている。
桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿と聞いたことがあるが、もう咲く事が出来ないと云うところまで置いてやってはどうか。




   温かき風吹き抜けて今日は春   七一翁

2011年3月14日月曜日

停電対策


テレビで小さな女の子がお母さんと叫んで捜し歩いている姿を見ると名古屋駅、新宿駅、上野駅などで見た戦災孤児の群を思い出しました、早く肉親と再会出来ると好いですね、大勢の孤児が出なければと願うばかり。
娘は帰宅しません、原子力を主体とするから石油は要らないから工場をつぶせと言われ潰した。
原子力はだめだから重油、灯油を供給しろと命令してくるが足りない、全国の貯蔵をどう回すかで金曜日から会社に泊まり込みで対応している。

ところで某国で2度の大震災の輪番停電経験からご参考になればと思いまして。

1.食事は一皿にすべて盛り合わせる、その皿は使い捨ての袋かサランラップで包み洗わなくてもよい  ようにする。
2.風呂の水は捨てないで厠に再利用。
3.冷凍庫は停電中開けない、保冷剤を入れておき停電中の温度上昇を防ぐ。
4.外食はFastfoodsの店でtakeoutする。
5.冷凍食品は融けているものがあるかもしれない(某国ではあった)

心が痛む

地震被災地は最後の勤務地だったので知り合いへ連絡を取っているが震度7の町から返事が来ない、緊急でないから電話は遠慮しているが内陸だから生命に影響は無いと信じている。
山形の友人の一人から灯油を買うのに行列、スーパーはカップラーメン5個、バナナ5本と制限されおまけに停電でラジオしか情報が入らないとメールの返事が来た。
勤務地の近隣で頻繁に出かけた気仙沼、石巻、南三陸のあれだけ津波対策された町が一瞬に消えてしまった、あの大きな厚い防潮堤と水門を簡単に越えてしまった未曽有の津波に今でも心が震える。
僕にどのような手助けができるのか悩んでいる。

2011年3月13日日曜日

幸せの青い鳥

昨日まで二日間追っかけをしていたルリビタキ♂、もう少しで山へ帰って行くだろうから、最後のお目見え、嫌な事ばかりあるので幸せの青い鳥になってくれないかなと淡い期待を持っている。
それにしてもきれいな青だ、昨冬にも同じことを言っているかもしれない。

2011年3月12日土曜日

地震は怖い

幼児時期の目の前で家が壊れる震災を含め死ぬかと思った三回の大震災で恐怖症に陥っているところに昨日の初期の縦揺れの後の強い横揺れが何時停まるのかと思った長い周期の地震にすっかりまいってしまった。
特に宮城県は5年前まで働いていた場所だ、津波に襲われた名取にあった工場へ定期的に出張したりしていたので場合によっては罹災していたかと思うと背筋が寒くなる。
家が壊れるような強い地震の怖さは体験しないと何を言ってるのかになってしまう、実際に台北で僕は非常食や水、着替えなどをリックサックに詰めて非常持ち出しを作ってあった。
それを見て家族や友人たちが大笑いしたが、あの20数階建てのビルが台中で何棟も倒れた9.21大震災の時から何も言わなくなった。
そんな心遣いをしなくて済む国に住みたいものだ。


 


  空曇りコブシ咲けども我侘びし    七一翁

2011年3月11日金曜日

強い揺れでした

15時少し前にこの写真を見ていたらゆらゆら揺れだし、だんだん強くなるので財布を持ち玄関の戸をあけました。
揺れは3分以上続き、それから小さな揺れが続き風呂に水を張りはじめたら揺れてこぼれそうです。
部屋にあったメダカの鉢から水が揺れてこぼれ床はびしょ濡れです。
余震は30分以上経過した現在でもあります、我が家では台所の引き出しがすべて開きましたが、中のものが落ちたりはしませんでした。
多分震度4くらいはある揺れで歩いている人が気持ちが悪くなったと言ってます。
津波が起きているようです、これ以上揺れが来ない事を祈念し皆様のところは如何でしょうか。

写真は咲き始めたコブシ。

NZ地震被災者を悼む

被災された殆どの方が若者で英語が喋れるようになり世の人の役に立ちたいと向上心、向学心から出かけられた。
諸君の罹災に心からお見舞い申し上げ、命を落とされた方々に哀悼の意を表します。
諸君の素晴らしい高い心に引き換えて、祖国の与野党政治家の発想、思想の貧困と程度の低さに落胆します。どうか国を憂いてください、そして彼らに希望してやってください「天国でも自慢出来る国にしてほしい」と。


 角ぐんだ葦緑濃く岸枯れて   七一翁

2011年3月10日木曜日

記憶力世界選手権

テレビで見られた方も多いだろうが西洋で続けられていた記憶力の競争が言語の違いによる記憶術の有意差が出て中国人が優勝した。トランプ52枚一箱単位でカードの順番を何箱、0から9までのランダムな数字をの表の順番通りに何個覚えられるか、人の顔と名前を見て何人、読み上げられた数字の記憶など3日かけて競う。
トランプ48箱、2480文字の数字などチャンピオンの中国の学生はすごかった。
放送によると既に中国国内では記憶術の学習塾が全国にかなりあり小学生を学ばせている、西洋の言葉ではランダムに並んだ数字を2個単位にして15だと苺、73は波のように置き換える事が出来ないし英語の綴りshell(貝)をsheとllに分け彼女(she)が箸(ll)で貝を挟んだと関連付けて覚える事が出来ない。この点を教えて小学生に英語単語を覚えさせ必須科目の英語をひと月でマスターさせるらしい。
このような点で有意差が出て中国人が昨年までの記録を破っていた。
記憶術を商売にして学習塾を作り世界へ打って出ようとする商才にも感心したし、この競技は昔からあるそうだが知らなかった。




 陽だまりは腰まで伸びた蕗の薹    七一翁

2011年3月9日水曜日

風神雷神図屏風








酒井抱一作



酒井抱一生誕250年琳派芸術の第2部 転生する美の芸術を見て来た。
琳派も宗達、光琳から酒井抱一、鈴木其一へ移り絵が鮮明に具体的に描かれているように特に其一は鮮明な分かり易い描き方だった。
抱一の風神雷神図屏風があった、有名な国宝の宗達の絵を光琳が模写し、それを抱一が模写したから大分原画とは違っていると言われているそうで先の2点は写真でしか展示解説されていたかったが抱一さんのが一番簡略化されているように見えるが雷神、風神共に勢いがあるように見えました。

俵屋宗達作(国宝)



尾形光琳作(重要文化財)
コピーしたわりに正確に写し取っていないのでは。

いずれもgoogle絵画検索からcopyさせてもらいました。

2011年3月8日火曜日

紅梅


春はあけぼのと書かれた女流作家が花は紅梅がお好きだったようだが僕も大好きです。
区内を流れる別の川へ散歩に出かけて見た、カンヒザクラが咲いていると遠目に見えたので見たら盛りを少し過ぎたコウバイだった。
メジロが一羽蜜を吸っていたが春の暖かい空気に包まれて玉堂さんか雅邦さんの一幅の画を見ているようだった。
この辺りは杉並区の歴史博物館によればその昔は映画で田舎の風景のロケをした場所らしいが流れる水だけが知っているのであろう。


 紅梅にメジロ来りて花見かな   七一翁

2011年3月7日月曜日

血圧

ほぼ毎朝血圧を測っている冬の間110-70くらいだったのが最近140-90くらいとなった。
腰が痛むので重いレンズを背負って歩いて行くのを減らし片道は電車にしている。そのため運動量が少ないのか上がっている、医者様はそれくらいでしたら問題ないですよ、投薬しなくてもよいでしょうとの診断だ、腰の痛みが夏の国から帰国したら顕著になって来た。
空気が乾燥すると鼻炎になる僕はボルネオ島は湿度が高く鼻炎が引っ込み気温も高いので住みやすかった。ネットで見ると退職者がタイやマレーシアに長期滞在や永住する人が増えているようだ、僕にとっては条件をクリアーするのは高嶺の花だがボランティアで出かける手はある、何処かに必要とする食品工場がないだろうか。
身体は調子よくなるし鳥見は出来るだろうし人様のお役に立てると昼寝の夢みたいなのんきな事を考えている。


写真はコガモ♂


    水ぬるみ昼寝の鴨も矢の帰心    七一翁

2011年3月6日日曜日

知らない間に

腰が痛かったり寒かったりで久しく公園に遠のいていたが久しぶりに行って見た、多分早咲きに桜がつぼみを大きく膨らませているだろうと期待して。
予想に反してもう満開に近い木もありヒヨドリが蜜を吸っており時々メジロを追い出しているではないか、春は着実に来ていたのだ。
寒いと思っていても日差しが長くなりもう少ししたら彼岸だ、信じられないくらい早い速度で日が過ぎて行く、そして彼岸の岸へ行く日が迫っている。




   蜜吸いに寄り来る鳥の争いて     七一翁

2011年3月5日土曜日

タラの木

ヤマメ釣りをしていた時に沢で滑りそうになり、傍に生えていたこの木を掴んでしまい痛かった事を覚えている、何しろ棘の棒なのだから掴まる方が馬鹿なのだが。
杉並区某所にタラの木が生えている、正しくは植えられたのかもしれないが。
きちんと剪定もされている、剪定した枝は苗床に挿し木して出芽させてタラの芽をとるのであろう、北緯45度の土地では5月末から6月の芽吹きの頃に山へ入り幾らでも採って来れる、山形では雪の中のハウスで枝を畑に挿して温室栽培で出芽させ山菜として収穫し東京へ出荷しているのに驚いた。
この写真のタラが芽吹くのは何時ごろだろうか、順調に春が来てほしい。




  公園の土凍て光る寒戻り    七一翁

2011年3月4日金曜日

雛の刀は抜けなかった

幼少の頃そっとお雛様の刀を抜いてみようと試みた事があった、その傍で僕を見ていたのが高砂と住吉の松の精のこのお二人。何時ごろのものかよく分らない。お入りになっている木箱は壊れそうで煤けてしまい何も書かれていないようだ。高砂の翁は何時の頃か知らないがお顔を虫に食われて穴が大きく開いてしまったしお髭が痛んでいる、写真で見ると新しいように見えるが木と竹と布で出来ていて芯は細い竹ひごで触ると崩れかねない状態。僕が物心ついたときには毎年雛の節句に飾られていたので御年百年は超えているが母も他界し聞いた事も忘れてしまったので不明。
もうどう見ても痛みが激しくバラバラになってしまう日が近いが僕とどちらが先かに助け舟と叫ぶか。
この下げ分かるかな?


風さむく桃の節句は春未だ   七一翁

2011年3月3日木曜日

新幹線の開業

九州新幹線が12日全線開通し大阪と鹿児島が直通となる。
昨年暮れに青森東京間が開通しているから青森から鹿児島まで乗り換えなしで行けるかと思うと大間違いで東京駅で切り離されている。
どうして線路だけでも繋いでおかなかったのだろう、旅客として北海道や青森から東京以西へ行く人は数知れているから直通運転の必要が無いないという発想だったのかな。
稚内から鹿児島まで5泊かけ特急と新幹線を乗りついで行く団体旅行があり高価だがかなり応募しているらしい。駅のホームに洗面所がいくつも並び夜行の停車時間を利用し洗面し歯を磨いてラジオ体操までしたような旅行ではないようで立派な宿に泊まり昼間だけ乗車するようだ。
鉄爺としては青森までと鹿児島まで行きたいが幾らかかるのだろう。


雛も出ず桃も飾らず老いの家   七一翁

2011年3月2日水曜日

パノラマ写真ソフトがありました。

今朝来たPCオンラインというPCメールに載っていました。

先日パノラマソフトで質問がありましたで返事いたします、試していませんが

記事からすると使えるようです、お試しあれ。

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/knowhow/20110120/1029718/?set=ml_a

春のはしり

カエルの卵を見に行ったら神田上水の河岸段丘の名残りの南斜面に小さなフキの葉を見つけた、と云う事はどこかにフキノトウが出ているはずだとクヌギの落ち葉をかき分けてみたら、もうずいぶん前に芽を出していたのだろう花が咲き始めた薹が出ていた。
昨年まで今頃沢山出て来る都営アパートの土手があったのだが住人しかとってはいけないと言われたので今年は行ってないので気づくのが遅れた。
これを刻んで味噌汁に入れたり納豆に混ぜて食べると美味いし春が来たと思うのだが、今年からは買わざるを得ないかな。
東北北海道勤務の時は採るのが楽しみだったが、春のはしりを自分で手に入れる事はもうかなわない事だ。


  ふきのとう落ち葉かぶりて出番待ち    七一翁

2011年3月1日火曜日

水飲み場

シンガポールの植物園へ着いたら喫茶室は工事中で自販機も何処にも見当らなかった。
さらに門の付近や資料室など日本ならおいてある場所を探したがない、30℃を越す暑さで水が飲みたいのだが困ってしまった。ふとトイレの案内を見ると前に水を飲むマークがあったので行って見たら写真のように大きさ高さの違う水飲みがあり、しかも物がおける棚があり水を冷却してる冷却器の音がしている。手を使わなければボタンが押せないのだから物置は気が利いている。
初めて見る水飲み、日本で見るのとは大違いだ、気が利いているのは写真では高さの差があまり違わないように見えるが大人と子供が飲む位置だ、床を傾斜させて高さを調節している。
しかもステンレス製で洗浄しやすく清潔。
水は20℃くらいに冷やされていたが味は残念ながら昔の金町水系の水道の藻くさい味がした。