2011年4月19日火曜日

久しぶりの対面


昭和22年に父の転勤で離れた名古屋東山をもう一度見たいと言う妹の願いを実現させるため出かけた。
貸家だった生家はすでに建て直されて痕跡も無いし周辺も建て変わり彼女の記憶を呼び戻す手立て。
餌が無くなり象使いが二頭の象を連れ出し辺りの草や樹木を食べさせていたのをかすかに覚えていたので動物園へ新たな記憶がないかと訪ねて見た。
そこで象は既に死亡していた事を知ったが妹よりも僕がさまざまな事を思い出し感激した。
その一つがコンクリート製の恐竜3体、写真の何倍もの大きさだと思っていたが意外に小さかったが昭和13年に精巧な模型として作られたと立て札があった、僕より壱歳年上だ。
それから感動したのはアジアゾウ、ホッキョクグマ、ライオンなどの獣舎や檻が当時見たものが現在も使われている事だ。
よくぞ70数年も使い続けて来た事だ、本当に懐かしくうれしい半日だった。


アオサギがアパトサウルスの上に止まっていました。

3 件のコメント:

ター さんのコメント...

現在、母校は東山にあるけど、そこへ通学したこともなし、動物園に初めて入ったのも中学生になってからだから、東山界隈の土地勘は沼さんの方がよっぽど確かなようです。

三四郎 さんのコメント...

昭和22年というと僕は小学校の4年生。子ども会に入っていたこと。近所の写真屋さんの現像用に使う薬品を運ぶアルバイトをしていたこと。結核で療養中の親父を三田の療養所に見舞うため福知山線のSLに乗ったことなどを思い出します。

さんのコメント...

ター様

 母校は戦時中は墜落したB-29を置いてありました、唐山電停から歩きでしたね。
全く面影がありませんでした。

三四郎 様

 白黒映画に登場するぐあんばる少年のようでしたね、僕は枯れ枝や松葉を拾って七輪(カンテキ)でご飯もどきを炊いて弟妹に食べさせていました。
その話しを妹に話したら覚えていませんでした。
近所の普通の子供は同じような境遇でした。