2010年8月6日金曜日

左近の梅


旧嵯峨御所大覚寺門跡が正式名称の大覚寺へ行った、暑かったが建物の周囲の縁側や廊下を通って見物させて貰えるので陽が当たらず少しさわやかであった。嵯峨天皇の離宮であっただけに広々とした空間に建物が建てられ大沢の池も配置され見ごたえののある寺院で著名な絵師の手になる襖絵が多くあり室内の装飾や作り方が素人目にもすばらしかった。

宸殿を回廊式縁側から見られるようになっており玄関前にに右近の橘と左近の梅があった、物を知らない僕は左近の桜じゃないのと従妹の聞いたら昔から梅だったと教えてくれた、調べると起源は分からないが山桜が左近に植えられ始めたそうで梅は春一番に咲く花で御所に相応しい花だから選ばれた理由だそうだ。

いにしえは如何に過ごすかこの暑さ 七一翁

8 件のコメント:

三四郎 さんのコメント...

ガイド役が地元でご親戚というのは‘海苔の佃煮’ですね。
私との教養の差でしょうか、目の行き所がちがいます、沼さんは。

仙風 さんのコメント...

嵯峨天皇は随分暇人だったとみえますね。大沢池で花を生けられたり…大沢池に舟を浮かべられたり。

あべちゃん さんのコメント...

コメント書き込みテストです。
Google account使わずやってみます。


梅・松・桜/の札に出てきそうな風情のあるお庭ですね。

こんなコメントだから何時も書き込み拒否されています。

あべちゃん さんのコメント...

出来ました!出来ました!(^^)!

治 さんのコメント...

昨日の「ひいお祖父さんのお父さん」へのコメントです。
明治人のめげない努力のまとまりが
日本を強くしたのでしょう。
ちょうど何週間か前の「独言」に,
「現場力」,つまり才能とやる気のある人の集まりが
ひとつの目的を持つことが大切とあったけど,
その通りだったのでしょう。
大兄はその血筋を引いていますね。

さんのコメント...

shiro-chan 様

 海苔の佃煮の意味が分かりません、よく根性悪 だから目も曲がってついていると言われまし  た。

仙風 様

 私もそう思いました、議会もないし民意を気に しなくて良かったから別荘つくりが関心事だっ たのでしょう。

あべちゃん 様

 簡単です、僕に出来るのですから。

治 様

 確かに明治期の人々はすごくがんばりましたね
 今は私の説であるゲンバジカラが弱いと言うか 無視されているから遅れ、事故、ポカミスが起 きるのです、内閣にゲンバジカラがないのです から。
 

ボケ街道まっしぐらのshiro-chan さんのコメント...

では、解説をば…(^^ゞ

桃屋ののりの佃煮、えどむらさきはご存知ですね。これのコマーシャルを一手に引き受けていたのが亡き三木のり平氏。そのコマーシャルにはいろんなバージョンがありますが、その中の一つ、国定忠治編の台詞に以下のようなのがありました。

「俺にはしょうげえテメエという オイシイおかずがあったのだ」

この、「美味しいおかず」の所を僕はてっきり「強い味方」だとばっかり思っていたというお粗末。

つまり、わかりません というのが正常でして判ったら即ドクターへ直行・・・(^.^)/ドモドモ

さんのコメント...

桃屋で検索すると全てのCMがありますね。

今度ゆっくり見てみます。