8月15日は終戦の日の強烈な晴天と白雲がまだ忘れられないし殆ど毎年この日は晴れて暑い、晴れの特異日かな。
あの時は空襲がある、食べ物が無い、爆撃で水道が出ない・・・・年を召された方が終戦の年は暑かったとよく言われるから本当に暑かったのだろう。
暑くても行水が出来た疎開先の先祖の地は未だ良かった。
疎開先が無くて都会にいたら食料はおろか飲料水にも事欠いていた悲惨な日々を過ごしていたし、途中で栄養失調や汚い水を飲み死んでいたかもしれない。
それが昨日は上等な焼き芋を食べられたし今年も晴れた空、そよぐ風を確認できたのは最高の幸せだ。
写真は静岡城内堀
戦無く青空同じ十五(とうご)日 七一翁
2 件のコメント:
1945年8月15日、2歳に満たない仙風は何の記憶もありません。高見順の「敗戦日記」によると、「夏の太陽がカッカと燃えている。蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ」ったそうです。
それからベンツの件、「881」は型式ではなく、「ヤバい」と読んで下さい。
僕は5歳でした、苦しめられた空襲、空腹が無くなると聞きうれしかったが妙に色々な種類の米軍機が朝から昼過ぎまで低空で飛んで騒がしかったです。滋賀県の片田舎にどうしてなのか不思議です。
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