2011年8月8日月曜日

明日は長崎原爆忌

この建物はよく映画で大学や病院に使われる老人研究所の建物で、僕が鳥見に来たと書く老人施設はここです、まさかここが原爆を搭載したB-29を察知し報告にも拘らず空襲警報さえ出さなかった参謀本部の出先で、出すよう要請し返事も貰えず悔しい思いをした人々がいた場所とは知らなかった。
実は広島原爆忌の夜に見たテレビ番組でこの場所の事や原爆投下の経緯を知ったが新型爆弾を認めたくなかったそうだが国民を何と考えていたのだろうか。
暗号通信傍受から新手の攻撃があると推測し追いかけていた現場の軍人は凄い、今流に言えばCoolだ。長崎の場合はテニアン島発進からコードネームで分かって追いかけていたのだから、この建物の中でさぞ悔しかったでしょうし被害を聞いて落胆した事でしょう。


赤黄色カンナ乱れて原爆忌





4 件のコメント:

治 さんのコメント...

この独言の記事で初めて知った。
情けないったらない話です。
しかし,その警報を出すかどうかを決める
当事者だったらどうしたか,
わたくしにはあまり自信がないのです。
原発の放射能が「直ちには」影響がないとしか
今の当事者が言えなかったように,
無闇に人心を騒がせた責任をとりたくないし,
心の底では恐ろしくて怖くて
警報を出したくなかったでしょうね。

ところで,昨日の亜細亜号は面白い。
まるで,「小さな目」の詩のようです。
大兄のいまだに持ち続けている少年の心に乾杯。
まあ,われわれは二度童子なのだから,
当たり前か。

三四郎 さんのコメント...

その番組は見逃しました。再放送があったら教えてください。

さんのコメント...

治 様

 放送では当時の参謀本部や政府はポツダム宣言受諾の会議をしていたそうで降伏に気が奪われ報告されてもピンと来なかったのかもしれません。
亜細亜号は何時までたっても大人になれず幼稚なんです。

三四郎 様

 心がけておきます。

さんのコメント...

三四郎 様

8月9日深夜です。
http://www.nhk.or.jp/special/rerun/index.html

にそのほか再放送のリストがあり要旨が乗っています。