先祖から受け継いだのであろう一族の墓地まで畑の隅にある農家、といっても小学校の校庭より狭い畑だから兼業であろう。その畑の一部にゴマの花を見つけた。実に久しぶりだ、子供の頃に我が家でも植えていたのか近所にあったのか定かではないがゴマと教えられて以来見ていないのではないだろうか。東北勤務の時に刈り取り脱穀した生のゴマを見たことがある、多分カラーテレビが放送され始めた頃だから半世紀前かな。あの頃は自宅で何でも栽培していた農家が多かったから珍しいものではなかった、大豆だってよく燃えるから豆がらを焚いて五右衛門風呂を沸かす家が多かった。
少し早いのか天候のせいか特徴のある莢は未だ見られなかった、脱穀し夾雑物を取り除いて黒いゴマ粒だけに仕上げるのは手間のかかる作業のようだった。
秋立ちて星流れるを数えおり 枯沼
4 件のコメント:
こちらでも、どなたかの家庭菜園で見かけました。
昔は自家用にどの農家も作っていましたね。懐かしいものの一つです。
敗戦後間もなく食料不足を自給で補うために近所の広い農地が市民に無料で開放されたことがあります。ゴマもそのときにつくった…と思います。筵を広げて干した記憶がありますから。一番沢山作ったのは代用食のサツマイモやジャガイモ、カボチャなどでしたが。
ター様
この種から油を搾ると考えた人は凄いですね、よほど広い畑が持てる国だったのでしょうね。
三四郎 様
莢を筵に干す光景、ゴマ、アズキ、インゲンなどが広げられていましたね。ダイズは量が多かったから足踏みの脱穀機で脱穀していた。
歩道の敷石を剥がして畑にしていたのですから如何に飢えていたか。
沼さんの三四郎さん宛のコメントへのコメントです。
歩道の敷石まではがして畑にしたとは知らなかったが,
そのころのサザエさんの四コマ漫画に,
サザエさんが道路と思われるところに種を蒔き,
通行人に踏まれないよう悪戦苦闘するのがありました。
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