2011年6月6日月曜日

このような時代

バンの親鳥が予想もしない場所で雛に餌の小魚を獲り与えていた。
僕も育ててもらったし子育てもした、ずいぶん昔の事のようでもあるしつい昨日の事のように感じられる。食糧難の時代に親はどうやって食料を確保したのか、大変な事であったろう。一升瓶に玄米を入れて竹のステッキを杵の代わりに突いて精米し少し皮を剥いた米と麦や高粱、稗、粟などの雑穀や
サツマイモ、ジャガイモ、サトイモなどを混ぜて炊いた粥状だったり飯もどきがご馳走だった。おかずは大根の煮つけでりご馳走でかぼちゃ。この時代でももう少し米の比率の高い食事をしている家族もあった、配給以外にヤミで手に入れたり貢物だったり、それを見ると羨ましかった事をバンの給餌を見ていてふと思い出した。僕の子育て時代は形式的に米穀通帳が存続していたがすぐに廃止なった頃で子らにひもじい思いをさせなかったし、食を探し求める苦労が無いだけよかった。




    久方の夏の太陽犬吠えず           枯沼
    (意味難しいかな、蜀の犬は太陽に吠えるがヒント)

2 件のコメント:

ISI さんのコメント...

米穀通帳、ありましたね。
僕も実際使用する機会(必要?)はありませんでしたが、
住民登録やその移動には、付いて回った記憶があります。

さんのコメント...

ISI 様

 身分証明書でしたね、現在の健康保険証。

その昔は米穀通帳が重要で無ければ米が買えなかったというか配給が受けられなかったのですから。