ビワが生っている光景を見ると子供の頃の強烈な思い出が思い出されてくる。
昭和19年に滋賀県日野町の隣にある村へ名古屋市から疎開した、それは今まで見たことの無い光景のところだった。
藁葺き屋根の農家と水田、耕作に使う牛の鳴き声と撥ね釣瓶の井戸。疎開した家も藁葺き屋根だが農家の作りでなかったが撥ね釣瓶の井戸があった、幼い僕が覗いても底が見える浅い井戸だが水汲みは撥ね釣瓶でテコの原理で水を汲んだ桶が上がってくるもの。
この井戸の脇に太いビワの木があり行ったときには小さな実を付けていた、これでビワの実を知り生り方も知ったし都会から疎開してきた異端者として見られ、差別されることを知った。
ビワの味がどのようだったかは覚えていない、現在のわが家付近のビワはどれもたわわに生るが採る人もなく野鳥のご馳走になっている。
田植え後動く後付けザリガニは 七一翁
2 件のコメント:
ビワって、何となく郷愁を呼びませんか?
そんな気がします。
ター 様
そうですね,柿も私は郷愁を感じます。
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