2010年9月30日木曜日

携帯の呼び鈴

又携帯の呼び鈴が聞こえてくるので置き場所である居間へ行くと鳴っていない、着信した形跡も無い。
今日は天気が回復し部屋の扉を開放しているので外の音や声が全て聞こえてくる。アパートの各部屋も開けているのだろうか人声や音楽などが少し聞こえる、しかし僕の携帯と同じ呼び出し音が頻繁に鳴る、その度に家人が反応して携帯が何回もなっているのに聞こえないの耳が遠くなったと知らせてくれる。多分同じ音を選択している方がお出でなのだろう、珍しい音を選択しているのだが。
乗り物や駅などで呼び出し音が鳴ると数名の人が自分かといった行動を取るがそれが嫌だから珍しい音にしたのだ、今迄、数年間何処ででもかち合った事が無かったのだが今日は煩わされる。


 カオスだと咲き乱れるかコスモスは  七一翁

2010年9月29日水曜日

秋は来たけれど

トンネルを抜けるとそこは秋だったというように突然の秋、しかも彼岸に。
しかしこの写真のような青空は殆ど無い、寒い雨が降る嫌な秋だ。今まで日焼け、日射病と毛嫌いしていた太陽がこうなると出てほしいもので人間の我儘な欲だけれど。
蟄居の身ではあるけれど明るい青空が良い。もう夏鳥は南へ帰りますと別れの挨拶に来てくれているけれど、この雨が降る寒い昨今では監視の目をくぐる算段が付かない。


蟄居もそろそろ自己判断でリハビリをしておかないと冬鳥が来たときに切歯扼腕し激しい歯軋りや歯を食いしばって歯が悪くなったり骨が折れて寝たきりになっては困るから。
備えあれば憂い無しと言うが金の備えで憂いなしは生来この方一瞬たりとも例がないが。




集く虫宵は激しく壁割れ目   七一翁

2010年9月28日火曜日

国勢調査

国勢調査の回答がインターネットで出来るようになり、この世の中だから当然かもしれないが便利になった。
実は先日調査票を家人が受け取りネットで出来ると聞いたのでノートパソで開き、こうやればいいんだと話しながら打ち込んで最後の登録まで押してしまった、調査票を早く書き込んで置いておくのと同じだから良いかなと失敗を勝手に肯定している。変更があればパスワードを覚えているから修正が出来るが項目は一つ、誰かが欠ける事だ。
和菓子を頂いた秋の風情だ、柿、菊、栗、月にススキ、月夜の雁で如何にも日本らしい季節のお菓子、久しぶりに美味しかったし下さった方が今時の女性には無い楚々とした方でした。


涼しくて衣服替わるや秋の雨   七一翁

2010年9月27日月曜日

マンジュシャゲ

どうも下衆はいけない、この花をヒガンバナと呼ばずマンジュシャゲと呼ぶと長崎物語という題名の歌謡曲で当時の流行歌だった歌を口ずさんでしまう。
赤い花ならマンジュシャゲオランダ屋敷に・・・・・と歌詞は続くが、この曲を口ずさめる人は僕と同じ年代以上だろう。
この花は律儀な花で先日見て回ったときには彼岸には咲かないだろうと思っていたが彼岸が来たらきちんと咲いた。誰が教えなくても気温か陽の角度か長さか何が引き金になっているのだろうか。
それと白花は何時から出来たのだろうか、子供の頃に野辺に咲いてマンジュシャゲは赤い花だけだったと記憶しているが。

 ヒガンバナ彼岸過ぎても悩みあり  七一翁
  (マンジュシャゲはヒガンバナとも呼ばれる天上に咲く花で見る者の心を柔軟にするという。)

2010年9月26日日曜日

灯油

昨日の朝刊に今冬が寒いと書かれていたので娘に今年の冬は忙しいねと言ったら、最近は石油ストーブを使わない家庭が増えて消費量が減り少し製造すると分離されてくる他の油等が不景気で需要が無くコストがかかるから灯油だけ輸入しなければならなくなり逆に高くなるので利益が出ないかもしれないとぼやいていた。原油を蒸留するのだからさまざまな油や副産物が必然的に出て来るが捨てるわけにも行かず、さぞ大変だろう。
過去の職業も同じようだった、バターが不足すると副産物の脱脂粉乳が余るし、その逆が必ず来る。不足すると大量に作れとお上は号令をかけるし政府が輸入する。そうすると余剰になりだぶつく、その上、暑くなりすぎると牛が弱り乳が出ず、冷夏だと牧草が出来ず餌不足になる。
そのような事にかき回されていた約半世紀だった。


  隧道を出ると過ぐ秋着重ねて   七一翁

2010年9月25日土曜日

涼しくなって

まるで人情みたいな秋が来た、手のひらを返したように。
前日は33℃だったのが一夜明けると23℃、そして今日は20℃で涼しい風が吹いている。
この風が冷たく近所のコンビニへはがきを出しに行っただけで引き篭もっている。暑いのは我慢出来るが寒いのは嫌だな。もうまもなく紅葉になるだろうし木枯らしが吹き出して冬だ。情報ではかなりの夏鳥が帰国体制に入り都市公園へ来ているようだ、冬鳥も鳥見のほうに書いたように二週間くらい前から鴨が来ている。寒いから渡って来るのではなく太陽光線の角度に脳が反応するから血が騒いで飛び立ったのだろう。


いそいそと色づき立ちてこむらさき  七一翁

2010年9月24日金曜日

夏と秋が喧嘩して

昨夜の月がおぼろげだったのもこの影響、つまり冷気が下がってきて暖気と触れて湿度が高くなって来つつあったのだ。今朝から雷が鳴り響き雨がかなりの勢いで降ったりやんだり、鉄道のガジェットを見ると不通だったり運休だったりの記事が並んでいる。
おかげで大変涼しくポロシャツ一枚で過ごせる、今朝の新聞では今冬は平均気温が1℃下がると書かれていた、平均気温が下がると予想だが今度は寒い寒い、どこそこで零下何度まで記録を作ったとか騒がれるのだろうか、寒いのはいやだ。
夏の空気と秋の空気がせめぎあって荒れた雨の彼岸になってしまった、墓参は延期です。


 名月を撮りさまよう蚊の餌食  七一翁

2010年9月23日木曜日

新しい自販機

蟄居の身を破りマンジュシャゲの開花状況を探りに歩きまわった。その途中に浴風会があり開花状況を見たついでに街中より安い自販機で清涼飲料を買った。ここの自販機は購入者の大半が入居者で私とご同輩であるため専用の機種だった。製品が三段に陳列されて居り各製品のボタンを押す形式だが最上部の製品のボタンが最下列右側に並んだボタンでも選択出来る。
車いすの人にも対応しているわけで全てが低く作られており腰をかがめて製品やお釣りをとる必要が無い、製品は左の黒い蓋の処に出てくる。
最近、この他に製品棚の番号が下部にあり選択し押すと製品が選択され取り出され運ばれてくるのもあり弱者に対応した自販機が出来始めて来た、自販機は如何にも売ってやると感じていたが少し僕の印象が緩和され始めている。
自販機が新しいのもいいけれど、ここの魅力は安い事だ120円→100円、150円→140or130円。


 秋来たと話す老婆や汗光る

2010年9月22日水曜日

仲秋の月

明日18時が天文学的には十五夜だそうですが今夜は仲秋、昼間の猛暑で空気中の水蒸気が多くピントが今ひとつ鈍い仲秋の月の出でした。

http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm

マンジュシャゲ花便り

S師がマンジュシャゲが咲いたと写真を掲示された。
我が家付近の開花はどのような状態か耳鼻科へ行った帰り蟄居の身を破り過去に花が開花していた場所を巡ってみた。少しふらつく頭で野良犬みたいにあちらこちらと歩き回った。
その結果、二箇所で赤い花のつぼみを見つけたが、あるはずの場所が重機で掘り起こされていたり、つい最近エンジンカッターの草刈機で根こそぎ刈り取ってしまい乾燥した土がむき出しでアリが歩き回っている状態。
数箇所の公園では当然生えているべき場所で生えていないのだ、暑さの影響か夏の初めに草刈した影響か定かでないが花便りにならない。
最後に寄った近所の公園で白花がやっと一輪咲いていた、ここも生えているべき場所に草一本無かった。
汗をかいて帰宅したら蟄居の分際でどこへ行っていたのかお咎めがありました。


 秋彼岸夏日続いて犬ごろり   七一翁

2010年9月21日火曜日

敬老の日異聞

家人に同じアパートに住む年上の主婦の方から愚痴の電話があった。
敬老の日だから家に子供たちや孫が全員来る、飲んだり食べたり大騒ぎしてくれるけれど準備や料理、後片付けは全部私一人、もう疲れちゃうから嬉しくないの、嫁さんたちも一緒に飲んだりして子供の面倒までさせられるんだからと未だ準備段階でいやになってしまったらしい。
この方はお飲みになるのが好きな方のようですから、特にお感じになられたのでしょう。
我が家の両親が揃っていて敬老の日を催したが妹、嫁二人が全て仕切って孫まで食器洗いをやったのだが、最近は親へ顔を見せればよいらしい(アパートの話し)。
一人で孫まで含めると十数名になる食事を作るのは大変よと家人は同情し普段全く何もしない私を見て言った。
確かにせめて年一度、敬老の日くらいは老人を敬ってもいいはずだ。

ミズヒキの色濃くなりて夏むなし  七一翁

2010年9月20日月曜日

秋祭り

今年も小さな駅前に祭礼を知らせる提灯が並んだ。
祭礼は稲荷神社のもので、これ以外に八幡神社など一週ごとに少し離れた社でもようされているようだ。祭りを知らせる掲示が所々に張り出され、交通規制になると立て札が出されるから分かる。
昔だったら子らはもう直ぐ祭りだと喜んだだろうが、今はどうなのだろうか。露天で買い食いをする楽しみがあるのだろうけれど東京都は衛生的見地から露店で販売してよい食品と販売方法を条例で決めてしまったから焼きそば、焼きソーセージや加熱されるものが多くなり珍しいものが無くなった。
露天の中に解説を読んでも出来ないいんちきな手品とか直ぐ枯れる万年草や映画俳優のブロマイドなんか売っているのだろうか。


鉦太鼓笛も聞こえず秋祭り  七一翁

2010年9月19日日曜日

カボチャ

医者は僻地で役立つとT大を卒業されてから何十年過疎の蝦夷地で開業され農業もされている先生から、今年採れたとカボチャや馬鈴薯をくださった。
僕の夏はカボチャが主食だった、少しの土地があったら苗を植えて塀から屋根からそこいらを這い伝わせて出来るだけ収穫した。多分今頃の職場の茶飲み話でカボチャを何個収穫したとか最高は何貫目だったとか。保存が利くから冬頃まで食べた。
南アメリカから西洋を伝わって日本へ来たからカボチャ、南京、唐茄子、ぼうぶらなどと呼ばれている。
最近お目にかからないのが武者小路実篤さんが「日々是好日」などの書と一緒に描かれていた日本カボチャ、山型凹凸があり少し平べったいやつ、味としては旨みや甘味が少ないから淘汰されていったのか、しかし懐かしい。
現実に戻ると今でもカボチャの煮つけ、天ぷら、ポタージュ、汁粉も僕は好きで煮つけが冷蔵庫にあるとつまみ食いすることがある、品種改良され甘味と旨みが増しているのだ。カボチャばかり食べてカボチャの持つカロチンで顔が黄色くなった人が大勢いた、あの時代のような食糧不足が来ないことをくだらない政争を楽しんでいる為政者に頼みたい。


    秋の日は鋭角に差し部屋越える 七一翁

2010年9月18日土曜日

簡単なようで難しい

物干しへ出る一枚ガラスの引き戸の外側に止まった体調1cm弱のハエを部屋から撮りました。レンズを密着したかったが逃げられると思い連写で近づき、逃げられる寸前の状態。
構想は足の吸盤、腹部がもう少し拡大して撮れた筈だがあいにくの強い逆光線でトリミングし光線補正をしてもこの状態だった。もうすこし何とか撮り方があったはずだが、望遠で狙うと小さすぎて焦点が合わなかった、次回機会があれば接写の連写でフラッシュをたいてトライして見よう。


考えてみると暇人の時間つぶしであくび指南みたいな気がした。


台所隅まで陽光(ひかり)秋彼岸   七一翁

2010年9月17日金曜日

眩暈

昨朝起きようとして頭を傾けたら部屋が回りだした、一昨年の再来かとドキッとしたが頭を元の位置に戻すと止まる、しかし下を向いたり後ろを向くとやはり回るというよりふらつく。しばらく寝台でじっとしていたらひどい眩暈が収まったので起きだした、食欲はあるが軽くすませていつもの生活をし夜はいつもの液体を飲んだ、重い頭が軽くなり百薬の長の効果があったのかな。
今朝目覚めると同じような症状だが歩きまわると昨日よりふらつき気持ちが悪い、様子を見ていたがかかりつけの医者様のお世話になった。
CTやMRIが無いので脳の状態は分からないが30分くらい目玉の動き、手足の動き、頭を左右に動かしたりして出た診断は三半規管が悪いとしか言いようがない症状、原因は暑い夏の疲れ。眩暈止めを処方し4日後に症状が出ていたらMRI,CTを依頼して撮る事になり、また一週間は暑い日に歩いて鳥見に行く事を禁止された。
今これを書いていても顔を動かすと若干気分が悪い。


写真は台北植物園のタイワンリス


へちま売る老婆笑いて忌が近し   七一翁


19日が糸瓜忌です。

2010年9月16日木曜日

1日1本

何処かを操作すれば縦書きが出来るのだろうが、又戻すのがややこしいだろうから止めたので、この意味するところが半減する。


実は某社の烏龍茶の広告で縦書きで1日1本と出てくるが、暦や科学方面でアラビア数字が使われるのは納得するけれど日本語の縦書きには漢数字を使ってほしい。
1日1善とか23日(二三日)と縦書きされたら意味が通じなくなってしまうが現実にはチラシやポップ広告で使われているのだ。


言葉は時代で変わると言うけれどあまり唐突で誤解を招く書き方や用法は止めてほしいし書き方の基準は無いのだろうか。


  蟋蟀や昼薄暗いきつねども  七一翁

2010年9月15日水曜日

本当でしょうか


腰痛と同じ健康欄にありました、像の時間ねずみの時間を読んだ時にはなるほどそうかと思いました。
この欄の話しではそうでもあるし、そうでもない話しが登場しています、まあマスコミ特有の書き方ですが僕の脈拍は60/min.くらいだからガス会社の医師の説で行けばgame setになるからいよいよ準備万端整えておかなければならないが時々40台の脈拍が出て来ますが医者様は続かなければ大丈夫と診断しますが、これが血の巡りが悪い与太郎さん同様の人間なる原因かと思うのですが。
泌尿器科で半年一回の残尿量測定の日で我慢しており、これから駆けつけなければならない。もうこのような必要も無いのかな、諸兄姉はどう思われますか。


セキレイの鳴く声寂し夏帽子  七一翁

2010年9月14日火曜日

腰痛も気から


日経日曜版に載っていた記事で、私同様腰痛に悩まされている方が多いと思いまして切り抜きました。
真偽のほどは分かりませんが僕の掛かる先生も同様の考えらしい、しかし患者に治療の方法が無いのですとは言えず、そうとも取れる言い方で鎮痛剤、シップを処方するから服用して様子を見てください、痛みが激しくなった来てください。お大事に。ですが記事の一番最後が当たっているなら「気が入ってないから、たるんでるから腰が痛くなるのだ」と言われそうですね、ネエご同病!!




名寄より芋おくられて秋を知る  七一翁

2010年9月13日月曜日

台北のスズメ



台湾はちょっとした公園にスズメがいた、日本ではスズメが住めないように建造物も電柱なども防御しているから営巣出来ないが台北の建物は防御していないのだろう、久しぶりに多数のスズメが群がって餌をもらったり砂浴びをしているところを見た。
百羽を超えるだろうスズメが群がっているのを見ると懐かしさを感じた、そうだ繁殖の原因には天敵のハシブトカラスがいない事もあるだろう。


 蟋蟀がぴたと鳴き止むつまみ食い  七一翁

2010年9月12日日曜日

担仔麺


鉄ちゃんして台南へ行った、鄭成功さんだけではと思い台南が発祥の担仔麺を食べに度小月へ行った。豚を出しにしているのであろうが脂も浮かず非常に淡白な味で小さな碗にゆでた麺とモヤシと茹で海老、味付けたひき肉が載っているのみ。麺の量も普通の半分くらいで麺の種類は米粉があり、好みで選べる。副菜として何種類かがあり、これを取って簡単なお昼を済ませる。
もともとは日本の蕎麦屋と同じで煮売りで担いで街を回り、客の面前で茹でた麺を食べさせたと店がくれたパンフレットに写真があった。現在は発祥のこの店も他の店も店の中に座り、麺を茹でて汁や具を載せている。写真の左側が麺を茹でるコンロで銀色の筒が煙突で店の中に放熱している。
最近は日本人観光客に人気が出て台北に幾つも支店を出している。
庶民が好んでいた食べ物だけに素朴でおいしい、信州そばとか讃岐うどんだ。


 かねたたき叩き続けよ夜もすがら  七一翁

2010年9月11日土曜日

せっかち向き


信号に減数計時がついているのを約6年前に杭州で初めて見た、今回台北へ来たら所々の信号に同じような減数計時が付けられていた。信号が変わるか変わらぬうちに脱兎のごとくバイクが飛び出す目抜き通りではせっかちな人をなだめるに最良の方法だろう。僕はせっかちだから長い赤信号に出会うといらいらしていたが、このような信号があると数を数えて気がまぎれただろう。
余談だが横断歩道の青信号は以前に台湾便りで紹介したのと同じで数字が減数しおじさんが歩いて横断し赤に変わる直前になると走り出すアニメ方式に変わりは無く20年以上活躍されていました。


心さむく とろろ酒飲み秋とろろ  七一翁

2010年9月10日金曜日

台湾で鉄ちゃんした

                                                                                                                予ねてより乗らなければと思いながら機会が作れなかった台湾の新幹線、母を日本人とし清朝と戦い台湾を人民の島とし独立させた鄭成功の活躍した記念資料がある台南へ見に行く事にしてついに乗りました。
日本の新幹線そっくりだった、切符は出張の旅費精算に添付する政府の既定で必ず帰ってくる仕組みだ。日本と同じで人のいない場所に線路を引き駅を作っているため駅から街まで無料のシャトルバスが往復している、この点が日本と違う仕組みだが岐阜羽島や新横浜は見違えるほど発展したが台湾は無理だろう。


 大雨でつかぬ間の秋布団かけ   七一翁

2010年9月9日木曜日

旅と台風


この時期に旅をすると台風がつき物、ひどいときは飛行場の汚い避難ホテルに泊められ夜中に起こされて飛んだりした。今回は酷暑のおかげで台湾付近で発生した台風9号があり欠航かと思ったら西に
移動してくれて窓から台風に近づき離れていく様を堪能した。写真は一番近付いた所で一瞬だが雲の柱が上空まで達していた。
旅は海洋性気候の亜熱帯の島は涼しく鳥見も出来、体重も増え鉄ちゃんをして新幹線にも乗りいざ帰国となったのでNHKBSニュースを見たら何と9号が中部地方いるではないか。
航路上に台風があるため避けて飛んだので遅れて着いたら見たことも無いような滝状の雨だ、台風9号を避けたと思ったら回りまわって帰りにツケが来て、もう一度台湾へ行ける位の時間をかけて空港リムジンバスで帰宅した。


下の写真は通過後の雲

2010年9月4日土曜日

信玄か金次郎か

公園の午前11時30分頃、池のベンチで後ろから覗かせてもらったら何やら難しそうな本を暑さとか周囲の人や餌をねだるカルガモを全く気にする事無く無我の境地で読書している青年。右手に食べ終わったアイスクリームのバーさえ握りしめたままで心頭滅却すれば陽もまた涼し、ちょうど携帯へ電話くださった我がS師が言われる勉強は時と場所を選ばず正にそのものだ。
最近の我が国に未だ武田信玄公か二宮尊徳先生の再来のような青年がおいでだったのだ。
しかし池の水が溶存酸素不足でアオコが発生しひどい異臭が出ているのをよく我慢していると感心した。(声をかけにくい雰囲気で無断撮影ご容赦)


 家族の夏休みにつき合い旅に出ますのでお休みします。


 日盛りに絵描き群れ居り秋の汗   七一翁


(毎日大勢の絵描きさんが写生に熱中しておられ、わが平塚の盟友を彷彿させます)

ガマの穂


神田上水沿いのお宅でビオトープのガマが今年も穂をつけた。茶色をした太い部分が雌花で上の細い部分が雄花だそうだ。開花すると黄色い花粉が飛び散り、結実し成熟すると白い綿毛のついた種子が飛び散る。私は綿毛に種子がついているとは思っておらず、これを書くについて調べて知った。


ガマの綿も布団の綿として利用されたそうで神話の因幡の白ウサギも治療材としてお世話になっている。余談だが大黒様はガマの白い穂綿ではなく雌花から出る花粉に薬効があるのでつけると好いと言われたとか。
今は水生園とかビオトープでしか見られなくなったガマも川辺に繁茂する植物で秋の穂から綿が飛び出す時期は人々が採取したのだろう。
何気なく見ているが古代から人々が利用して来た歴史があるのだ。




人々の眠りささえて蒲の秋   七一翁

2010年9月3日金曜日

ゴーヤ


ゴーヤを植えましたとか苗を買ってきましたと初夏の頃に書かれたり話されいた方がけっこうおいでだった。散歩道で見ても庭にゴーヤを植えたり垣根に這わす方が見受けられ現在はと云うと小さな実がぶら下がって、未だ黄色い花が咲いており結実してももう大きな実がなる事はないだろう。
この写真のゴーヤは畑で栽培していたゴーヤだが、どうも上手く収穫出来なかったようで、タネをとるのか諦めたのか一個ぶら下がっていた。
ゴーヤは作りやすいのか家庭で栽培されているが何個くらい収穫出来ているのだろうか、僕の子供の頃に本州で栽培されていたのだろうか、地球温暖化の産物で内地しかも東京で栽培出来るのだろうか。


赤とんぼ霜夜来るのはいつの日か   七一翁

(残暑続くきますね、ご機嫌よろしゅう。)

2010年9月2日木曜日

クズの花


クズの葉は大風が吹くと一斉に白い葉の裏側を見せるので風の強さがそれで分かる。堤防に植えると崩れないと言われ外国でも用いられ始めている地道な存在。
先日来、花が咲いているだろうと探しまわっていたがやっと見つけた、一か所は高いところで微風に揺れて巧く撮れない。あきらめて上水を公園に向かい歩いていたら頭の上で咲いていた。
この花が咲くと秋が確実に来る、秋の七草の一つだからという訳ではない。カキの実が少し色づきヒグラシが鳴いてこの花が土手や空き地で咲いているのを見ると秋が来ているのだ、残暑が厳しくても日ぐれが早くなっているからだ。
余談だがこのクズは土中に澱粉を貯めており葛根と漢方では呼ばれ貴重なものらしい。




忙しく飛ぶ蝶の羽ぼろぼろに   七一翁

2010年9月1日水曜日

金玉均の書


この石碑に刻まれている人心同は金玉均という福沢諭吉さんが面倒を見た朝鮮王朝時代の人で清朝に裏で操作されていた李王朝に対抗し革命を起こしたが三日天下となり国を追われ日本へ逃げて来て小笠原まで逃げ回り最後には確か中国で隠密に暗殺された。
昨日の力石とこの石碑が久我山稲荷神社の境内にあります、この村から貧しくて小笠原へ開拓に行き、サトウキビ栽培で成功した方が自分を頼ってきた彼の死を悼んで石碑を建てた。


この時代の日本も貧しかったが李王朝の朝鮮もものすごく貧しい国で彼が革命を起こそうと思ったのは無理はない。






夏服の子らの白帽まぶし下校道  七一翁