2010年10月29日金曜日

栗といえば山上憶良の詩にもあり彼の時代から美味しいものだった。
散歩の途中、或いは周辺部へ用足しに徒歩で行くときに栗畑があり、誰も採らずに地べたへ落ちている。この写真は玉川上水を歩いていたら何個か毬がついたままで転がっていた一つだ。
嗜好が自然の味から加工され濃い味をつけた食品へと換わり自然の味でも濃厚な味が好まれ、まして毬を外さなければならない栗は見向きもされなくなった、しかしあのくさい銀杏は飲み屋や料理屋へ持ち込めば売れるらしく公園などで匂いのきつい皮を外して放り出してある。栃の実も拾われ皮が捨てられているが栗は一度に商売になるほど落ちないらしく見向きもされない。


 冬呼んで寒さ冷たさ今朝の雨     七一翁

2 件のコメント:

仙風 さんのコメント...

大きなくりの木の下で 大きな夢を 大きく育てましょう 大きなくりの木の下で

さんのコメント...

我が家付近の栗畑は慌てて植えた木ばかりですから未だ小さいです、税金逃れと言う小さな夢のためです。
農家の庭にある大きな高い栗や柿はいい光景ですね。