最近、期末の影響で公園は造園業者が入り安全確保との理由で樹齢百年はあろう針葉樹とか堅果がなる木々を切り倒している。
昨日までしっかりと太い幹を伸ばしていた木が無くなり切り株が皮を剥がれ白い肌をさらし切り口を面取りされて残っているさまは、自分が切り倒されたような気がする。
伸びすぎたり、樹勢が無くなったり、横に伸びてしまったりと理由は種々だが体が動かなくなったり寝たきりになったからお払い箱だよと宣告されたような気がするのは考えすぎだろうか。
写真の切り株は公園とは違うが年輪を数えてみるとアバウトで80くらい、僕より少し年配だ。
年輪に関心を持ったのは唐招待寺が何時頃建立されたか地垂木に使われていた木材の年輪から分かったというテレビ番組を見てからだ。
うたた寝の背筋寒さぞ彼岸過ぎ 七一翁
3 件のコメント:
一年を生きた証をしっかりと残している野ですね。人の体にもそんな証の分かるものが有るのでしょうか。
しかし人間界でも、天災や人災ゆえに、
僅かの年輪を重ねただけの苗木や若木さえ、
不条理な伐採に遭っています。
幼い命を育てることが、
老いの生涯を全うすることに繋がる早道、と思います。
zenzii 様
歯とか骨で大体は分かるようですが人生の年輪までは分からないようですね。
ISI 様
そうですね、若い芽や苗の段階で間引かれてしまうむごさを常々可哀そうと思っています。
如何に少国民を育てるかは老いた者が役目、
余計なおせっかいをすると叱る母親がいる時代難しいですね。
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