2010年9月1日水曜日

金玉均の書


この石碑に刻まれている人心同は金玉均という福沢諭吉さんが面倒を見た朝鮮王朝時代の人で清朝に裏で操作されていた李王朝に対抗し革命を起こしたが三日天下となり国を追われ日本へ逃げて来て小笠原まで逃げ回り最後には確か中国で隠密に暗殺された。
昨日の力石とこの石碑が久我山稲荷神社の境内にあります、この村から貧しくて小笠原へ開拓に行き、サトウキビ栽培で成功した方が自分を頼ってきた彼の死を悼んで石碑を建てた。


この時代の日本も貧しかったが李王朝の朝鮮もものすごく貧しい国で彼が革命を起こそうと思ったのは無理はない。






夏服の子らの白帽まぶし下校道  七一翁

2 件のコメント:

仙風 さんのコメント...

明治政府をお手本としたところなど、
当時としては立派なものですネ。

さんのコメント...

李朝、清朝を倒す革命に随分日本人は支援していると聞きますし金玉均や孫文などを匿うなどしてますが、その後の日本の行動が打ち消す結果となっていますね。