2010年12月14日火曜日

僕が働いた場所


郡山の工場が閉鎖されると福島の新聞に載っていましたよとmailを貰った。
これで会社で働いていた事業所で本社と研究所を除くと全て無くなってしまう、新宿、郡山、中頓別、山形、郡山の工場で働いて来たがその最後の一つが消え失せてしまうとなると研究所と本社、海外での20数年以外の証しと云うか汗と涙の記録が存在しなくなる。


特に郡山は麦畑と野原を整地し日本で最初のコンピューターによるオートメーショーン工場というふれ込みで建設し工場が出来て行くところから見ていたし、東京オリンピックの開会式の日に試運転をしたり初めての自動化機器が巧く動かない経緯も鮮明に覚えているので特に思い入れがある。


牛を飼う人が少なくなり原料不足で工場があっても稼働出来ないのだろうし外国から買った方が安いからと理由は分かるが、杜甫の春望じゃないけれど国破山河在がひたひたと迫っている気がmailを読んで改めてした。




 銀杏を踏み潰してや人通り    七一翁

3 件のコメント:

ター さんのコメント...

あら!本当?
汗水流して働いた工場だから、記憶の中にしか存在しなくなると思うと、寂しいですね。
ボクは2つ目だからまだマシ。
沼さんはツイテナイですね。

治 さんのコメント...

東京オリンピックのころの自動化の機器は,
ブラックボックスがほとんどなく,
動かないときは自分で分解して,
その原因を考えることができたでしょうね。
そういうことをしてきたからこそ,
よく記憶に残り,感慨も深いのでしょうね。
いまの機器はあまりにも専門化していて,
現場ではアテズッッポウにいきなり交換して
それでうまく動けばそれ以上の原因を追求しないし,
できもしないでしょうね。
今の保守作業では現場ではなにも考えられない。
改良のためのノウハウが蓄積しにくいですね。

さんのコメント...

ター様

 ターさんが研究所から初めて来られた工場ですね、手動で作業していたのが自動化されたテストプラントでしたから面白かったですね。
自動化も今から考えると幼稚でしたしコンピュターなるものも僕のパソコン以下のレベルだったでしょう、約45年たつと進歩はすごいけれど
合理化も凄い。

治 様

 おっしゃる通りです。
現在は不良の原因を究明せず基板交換ですから技術者が育たないし究明しようとする発想が無いようですね。町のラジオ屋さんが無くなったのも基板のせいですね。