最近福島県の阿武隈山系や周辺の地名が頻繁に出てくる、実に懐かしい地名であるが今は放射線のホットスポットとして突然寝ている子が起こされたような感じだ。
山の中の舗装もされてない細い道、冬は凍っていたし谷の夏井川も凍っていた、トンネルの出口が踏み切りで蒸気機関車が飛び出してきて驚き命拾いもした。
どの道を通って太平洋岸へ出ても山間の道路の周辺は養蚕と稲作の貧しい農家が僅かにあった、この風景は会津の方へ行っても変わらなかった東北の普通の風景だったのだろう。
その東側を切り崩して原発が出来て地域は一時的に潤ったが元の風景に戻ろうとしている、ただし人が住んでいない風景が出来てしまった。
切り売りの西瓜食べさす店探し 枯沼
2 件のコメント:
在郡当時は49号線で行く太平洋岸は随分遠かった気がしたのに、放射能汚染地域の地図が出るたび、こんなに近かったのかと思わされています。
ター様
49号線が「平市」まで開通しておらず舗装もなし半日かかりましたね、福島経由の方が同じ未舗装でもよかった。
あの当時の農家、原発以降様変わりしましたね。今は出来た箱物の維持費捻出に泣いている。維持するため新たな原発を立て交付金を貰い自転車操業してますね。・・・・と相馬の販売店さんが教えてくれました。
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