2011年8月19日金曜日

もう直ぐ秋ですね

国境のトンネルを抜けるとそこは秋だったと思わせるほど雨がもたらした涼しさ、ポロシャツ一枚では
涼しいほどだ、猛烈な雨が何処に降ったのかは知らないが少し強めの雨が半日降ったが川の水量をネットで見ていたが極端な変化が無かったのでよかった。
この涼しさが続いてくれると野鳥も渡りの準備のため山から下ってくるだろう、しかし雨が何日も続くのはごめんだ、稲が田圃で腐ってしまう。
乾燥した空気の青空、秋の雲が浮かんだ空になって欲しいが、未だ少し早いか。






 夏終わる知らせの雨か


http://numa371.blogspot.com/ へ転居しました。

移転します

昨日写真が掲載されなかった原因は 無料で使っていたblogの容量がいっぱいになり有料と
なるためでした。


改めてメールアドレスを取り夢酔独言(巻二)を作りました、お目を汚しますが、よろしければ


下記 アドレスが移転先です。


 www.numa373.blogspot.com/




I've changed my blog address to above 、so please change to new bookmark.

2011年8月18日木曜日

お茶の間


現在お茶の間があるお宅がどれくらいあるだろうか、戸山が原に団地が建設された時に台所で食事をするリビングが開発され一部屋減らす事が出来たし洋式生活が出来ると喜ばれたそうだ。いつの間にかこの様式が取り込まれお茶の間のあるお宅が殆ど無くなった。
部屋の真ん中に卓袱台がある四畳半に茶箪笥や水屋があり家族が食卓を囲んだ、最近でもテレビではお茶の間でご覧の皆様という、特に聴視料金の必要な局ではふるさとのお茶の間でとつい最近も聞いたが全国でお茶の間で食事をされテレビを見ている家族はどれ位おいでだろうか。

 微かでもそよ風吹かず月を待ち    枯沼

多分,Googleの不調で写真が掲載出来ませんしフォントも変更出来ません。

2011年8月17日水曜日

ひさしぶりのビアーガーデン

何年ぶりかで唯一現存する新宿駅ビル屋上のビアーガーデンへ行った。未だくれず生ぬるい風が吹く屋上には昔のようにハワイアンバンドなどは無く、ただビールを飲ませて冷凍食品の解凍品を食べさせる昔と少し趣が違う。それでもこの暑さだ、瞬く間に席が埋まりビールが運ばれてゆく。久しぶりに外で飲むビールは心地よく五臓六腑に回った。
数年前に来た時はパリッとしたピザだったが、今回は解凍しガスバーナーで表面を焦がしたピザもどきで全てが合理化されている、しかし冷たいビールは美味いが医者様の言いつけで沢山飲めないのが遺憾な夕方でした。


十六夜の月低くあり生ビール    枯沼


2011年8月16日火曜日

森のbar 2

 幹から樹液を出しているコナラ、クヌギなど昆虫が樹液やその醗酵液を吸いに来ている。雑木林で微かに醗酵臭がしていたらしめたもので臭いの元へ行ってみるべきだ。
カナブンのような甲虫、チョウが黄色い細い吹管を出して飲んでいたりギャングがbarを荒らしに来ている。
カブトムシやクワガタを採りたい方は薄めた蜂蜜液を樹液付近に塗るか桃の種に果肉を残して、或いは完熟の臭いのきついバナナをペットボトルの底を切り取り入れておきます。
昼間仕掛けて夜間或いは早朝見に行くと何かしら入っているはずです。カブトムシもクワガタもメスも来ますから、これは放してください。
人知れずの場所を探さないと全部取られてしまう可能性がありますからご注意を。何箇所か仕掛けておくと面白いですよ、珍しいチョウが来ている場合もあります。
お孫さんへおじいちゃん、おばあちゃんは凄いと思われますよ。


黄色い口(ストローみたい)


アカボシゴマダラ 外国産を放中したため広がった。
スズメバチ




飛んで入る灯探し求めて夏の虫    枯沼


2011年8月15日月曜日

66年前も暑かった

毎年終戦記念日の今日は当日も晴れて暑かった、敵機が低空で乱舞していたと書き込んでいるはずだ。
滋賀県の日野と水口の間にある村に疎開していた、日野はご存知近江商人発祥の地で節約節約・・・・全て節約の精神、これだから大会社を築けたのが肯ける、梅干を一個小皿に取り見て三膳、舐めて何膳、タネをしゃぶって三膳と薄いお粥を啜っていた。
先祖の地に住んでいながら田圃も畑も取り上げられ無かったからひもじい思いをした、僕の今でも食べ物にがつがつしているのは、この時に浸み込んだのだろう三つ子の魂百までというから消えない。
今夜から空襲が無いし日本が負けて戦争が終わったと聞かされ嬉しかったのも覚えている。


桃が来て友の郷でも元気知る   枯沼



2011年8月14日日曜日

くちなわ

ヒグラシが恰もカナ変換だよと連呼しているような蝉時雨だ、先ほどまでの高温注意報が嘘のような夕闇迫る上水をミズヒキを探して歩いている。
夏草が伸びて来て上水らしい光景になっておりフェンスを見ると細いアオダイショウがいる、未だ子供だろうかじっとして動かない。野鳥の雛や卵を狙っているのを見かけるがネズミも退治してくれる優れものだから触らずにおく。
自然が不要と言われる道路が出来るため破壊されかけておりヘビも来年くらいには見られなくなるだろう、周囲の家でネズミが増えたと言い出すかもしれない。
肝心のミズキはこのような結果となりました。


カナ文字を勧める蝉のもう日暮れ    枯沼


2011年8月13日土曜日

いましたキイトトンボ

高温注意報が出ている最中馬鹿みたいだと非難ごうごう、それを聞こえぬ振りして池や水溜りを巡りて幾炎天下、やっと都内某所でほんの数秒でしたがキイトトンボと遭遇出来ました。
なぜか長い腹を伸ばしたり縮めたり落ち着きがありません、写真を撮りたいのですが被写体が動いているので連写でやっと一枚何とか見られる姿がありました。
都内で絶滅が叫ばれている小さな生き物、区内にあった生息地はマンション群建設で無くなってしまった、実に惜しい事をした。
訂正キイロイトトンボはキイトトンボの誤りでした。
寺の池蜻蛉飛び交う盆中日     枯沼

使わなかった辞書機能



先日清酒は何が好きかの話しになりダツサイと言われた方がいた、僕も好きな山陰の酒です。
獺祭と書くのですが僕が知ったかぶりをして けもの偏に頼です と言った。ある方が携帯電話を取り出し辞書で調べてけもの偏に賴と分かった。


話しが長くなったが僕はそれまで携帯電話の辞書機能を使うことを全く気付かなかった。僕のはボタンで機能が呼び出せることをその時に知り試してみた。極めて簡単な英和、和英、国語の辞書がついていた、そういえば電車の中で携帯電話で何か打ち込んで教科書に書き込んでいる若い人を見かけるが、この辞書で登校前の下調べをしていたのだ。
僕が携帯電話で辞書を使うことが今後何回あるだろうかとふと思った。


かわうその祭り見て来よ瀬田のおく  芭蕉


バイク乗る僧の衣も忙しげ       枯沼

2011年8月12日金曜日

稲が開花

今年は夏の一部が暑いから春先はどうだったか忘れているだろう、3月11日の震災の日は小雪がちらついていたし四月になっても寒くてツバメの到着が遅れてやきもきしたし梅雨が早く来た。
その影響は稲に出ている様で開花したが花が少ないとか、そうなると実である米の収量が少なくなってしまう。東北と新潟の米は地震と大水害で当てに出来ないとなると旨い酒が出来なくなりはしないかと心配になった。早すぎるかもしれないがふとそう思いました、この田圃は心無い人が逃がしたアメリカザリガニが繁殖し土手に穴を開けて田の水を流してしまうので干上がっていました。
ザリガニを逃がしたから良いことをしたと思っているだろうが大勢の人が穴を探して塞ぐ事に終始して
いるのです。慈悲の心も考えないと自費で腰痛の医者へ行くボランティアが増えているそうな。




稲咲いて一区切り来た盂蘭盆会        


2011年8月11日木曜日

悩む季節が来た


上水の道路際にミズヒキが咲き始めた、長くやや弓なりの細い茎に一定間隔で花がついている、これをジャスピンで撮ろうと毎年試しているが成功した例がない。多分今頃になるとぼやきを書き込んでいるだろう。弓なりに軽く曲がっているから先端から根元についている紅い花を全てきちんとピントを僕のレンズでは無理なんだろうと思い比較的幅広く撮れるデジカメを携えていき撮ってみたが因って件の如しだ。もう少し秋が深くなり群がって咲いているところを見つけてマクロのレンズを付けて撮ればジャスピンで満足出来るかもしれない。それにはマクロレンズを入手しなければならないのだ、それが一番問題だ。


 パラパラとゴロゴロのみで雷雨来ず       枯沼

2011年8月10日水曜日

花より団子

午前中涼しいうちに出かけたつもりだったが外は35℃、干物になりそうだったが山種美術館へ日本画どうぶつえん と銘する所蔵の動物の絵だけの展覧会を見に行ってきた。
館へ入ると大理石の壁と床にアンモナイトなどの化石があるではないか、心此処にあらずの状態となり普段見たくて見られない名作が展示されいるのだが大理石の壁や床のあるところ全て見て回った。あるはあるは薄暗くてよく見えない場所に限り大きな鮮明な化石がある。受付の人に話しをすると、そうなんです見難い所ほどありますと笑いながらパンフレットを探し出してくれた、時々僕みたいなのがいて質問するそうだ。ジュラ・イエロウというドイツバイエルン地方の石材で1億8000万年前(ジュラ前期)のアンモナイトだそうだ。


展覧会はさすが一流画家で動物の特徴をよく捉えていたが川端龍子氏の黒潮と題するトビウオの群れが圧巻、鳥では横山大観氏のハッカを描いたものが墨絵で特徴を上手く表現していた。
当たり前だが餅は餅屋だ。
http://www.yamatane-museum.jp/exh/current.html


夏戻り行く先かしこよく冷えて     枯沼

2011年8月9日火曜日

久しぶりに見た花

先祖から受け継いだのであろう一族の墓地まで畑の隅にある農家、といっても小学校の校庭より狭い畑だから兼業であろう。その畑の一部にゴマの花を見つけた。実に久しぶりだ、子供の頃に我が家でも植えていたのか近所にあったのか定かではないがゴマと教えられて以来見ていないのではないだろうか。東北勤務の時に刈り取り脱穀した生のゴマを見たことがある、多分カラーテレビが放送され始めた頃だから半世紀前かな。あの頃は自宅で何でも栽培していた農家が多かったから珍しいものではなかった、大豆だってよく燃えるから豆がらを焚いて五右衛門風呂を沸かす家が多かった。
少し早いのか天候のせいか特徴のある莢は未だ見られなかった、脱穀し夾雑物を取り除いて黒いゴマ粒だけに仕上げるのは手間のかかる作業のようだった。




 秋立ちて星流れるを数えおり                 枯沼

2011年8月8日月曜日

明日は長崎原爆忌

この建物はよく映画で大学や病院に使われる老人研究所の建物で、僕が鳥見に来たと書く老人施設はここです、まさかここが原爆を搭載したB-29を察知し報告にも拘らず空襲警報さえ出さなかった参謀本部の出先で、出すよう要請し返事も貰えず悔しい思いをした人々がいた場所とは知らなかった。
実は広島原爆忌の夜に見たテレビ番組でこの場所の事や原爆投下の経緯を知ったが新型爆弾を認めたくなかったそうだが国民を何と考えていたのだろうか。
暗号通信傍受から新手の攻撃があると推測し追いかけていた現場の軍人は凄い、今流に言えばCoolだ。長崎の場合はテニアン島発進からコードネームで分かって追いかけていたのだから、この建物の中でさぞ悔しかったでしょうし被害を聞いて落胆した事でしょう。


赤黄色カンナ乱れて原爆忌





2011年8月7日日曜日

いました亜細亜号

ユズにいたナミアゲハの幼虫、これらアゲハチョウの終冷幼虫を見ると子供の頃に憧れてブリキ製の玩具をねだったほどの南満州鉄道の亜細亜号を思い出す。現在の新幹線と同じ線路幅で蒸気機関車で時速100kmを越える驚異的速度で走っていた蒸気機関車だ、テレビがあった訳でなし映画館へニュース映画を見に行ったわけでもないが童心に心を弾ませたのは何を見たのだろう。
先日中国東北部で保存されているのを紹介していたが往時のかっこよさは塗装の悪さから見られなかったが動輪の大きいのに改めて驚嘆した。
写真の幼虫は亜細亜号のように早く動き回らないが正面から見るとそっくりだと僕は思うのだ。




 夏の陽に葉を平らげてアゲハ化す    枯沼

2011年8月6日土曜日

またセミの話し

雨が続き少し離れた公園へ行かなかったら地面に蟹穴みたいな穴がそこらじゅうに開いている。
セミが羽化するため土中から這い出した穴だ。付近には抜け殻も穴と同数くらい見られるが、しかし相変わらずセミの鳴く声がしない。不思議な事にアブラゼミの成虫の死骸が五匹くらい落ちていた、狭い公園内で真夏に五匹は多すぎると思う、カラスに食われたりして死骸の一部ではないし五体満足なのだ。どうして死んだのだろう何か流行り病でもあるのだろうか。


寂しさや鳴くセミ少し秋が来て    枯沼

2011年8月5日金曜日

医者様の夏休み

6月くらいから恒例の夏休みの予告が各待合室や薬局に貼りだされていたが、その日がやってくる。
以前は月遅れのお盆の週だったが旅行など込み合うせいか医者様で日時と長さが異なり服用したり点眼薬の心配をしなければならない週となった。
月の後半に定期通院しているが夏休みとかち合う事になり安全を見た薬の量を確認し各医者様へ処方して貰いに出かけている。
患者の皆さんが同じ思いのため込んでいると薬局の情報、一番早い眼科は来週後半から10日間のためドライアイの点眼薬3本の処方のため2時間待って診察し書いてもらった、前立腺は一時間待ちを覚悟して出かけたら3人しかいなかった。
どの医師も多めに処方してくれたのだが最近は渋っているし栄養剤は間違っても処方してくれない、どうも区役所から厳しいチェックが入っているようだ。
写真は青花花卉双鳥文輪花皿  中国明朝 永楽年代 景徳鎮窯(絵葉書から)


井戸見ると西瓜冷やした懐かしさ   枯沼

2011年8月4日木曜日

今日の天気

11時に歯科を出たとき僅かに雨が降っていたのが急に土砂降りとなり折りたたみの傘では間に合わず、又足元は水が溜まり車は水を跳ねて走るので逃げ場を捜さねばならず難儀した。
雲の動きと風から東から天気が変わっていくようなので帰宅し東京アメッシュで雲の動きを見てみるとやはり東から西だ、今も買い物を頼まれアメッシュを確認すると東から西へ雨の塊が移動していた。
地球の回転により西から変わると言われているが気圧配置の因っては東から西へ雨の塊が移動する事もあるのだ、しかし年にそうはないだろうから小学生だったら夏休みの理科の観察日記になるところだ。
写真は空き家の伸び放題の柚子の木


 そうめんの薬味にしたき柚子なれど   枯沼

サルスベリ

サルスベリは百日紅と漢字で書く、中国語の表記でつまり百日のように長い間赤い花を次々と咲かせ続けるという意味だそうだ、サルスベリは日本へ中国から入ってどれくらい経過してかは知らないが猿が滑って登れないような幹だと幹を見た感じから名付けられたようだ。
白い花もあるが真夏の道を歩いているとサルスベリの赤い花が塀からはみ出して見えるとなぜかしらほっとする。この時期少し地味だがキョウチクトウ(夾竹桃)という真夏の道路の端や運動場で耐えている花もある、街路樹に花が少ない時期にもってこいだ。モンキースリップとバンブーサンドウィッチドピーチは夏の盛りの花ですね。


 待つほどに水にじみ出る冷奴    枯沼

2011年8月3日水曜日

本降りになって出て行く雨宿り

今日は明朝、清朝時代の焼き物を見に行ってきた。テレビでこれと同じものが美術館にあったのでこれは本物間違いないと欲の皮が突っ張った方がおっしゃる本物だ。
展示されている124点全て美術館所蔵の景徳鎮官窯と民窯のもので、よく細かい作業をしたとか精緻に描き込まれた模様に感心させられます。国営で王様のために作っているのだから時間をかけて根気よく描いていけばよいのだろうが技術力と巧みさに驚かされました。
 写真は
今朝出るときにわか雨が何処で降るか分からないから傘を持ての予報だったが正午に美術館を出たらぽつぽつと来て我が家付近へ来ると本降りだった、銀座の横丁でちょうど川柳みたいな方々がおいでだったのでパチリとさせてもらった。


朝顔が季節違うと身震いし  枯沼      

2011年8月2日火曜日

嫌な天気

先の台風が迷走し開けた筈の梅雨を東北地方へ引き戻した状態にしてしまった。
それ以来涼しいのは良いが太陽が何処かへ行ってしまい嫌な天気が続いている、今日も晴れるかと思ったら曇りで雨が降るというので不急の外出を控えたが雨は降らない、電力不足で困っている政府と電力会社にはよいかもしれないが十日以上も真夏が消えてしまい逆にストレスだ。
真夏はやはり青空に入道雲が沸き立ちセミがうるさい晴天が僕は好きだ、あの35℃を越えた異常な夏は望まないがせめて30℃くらいの晴れの日が恋しい。
遠くからひときわ目立つ百日紅     枯沼

2011年8月1日月曜日

今日の散歩

涼しいので午後から荻外荘周辺の公園へ散歩した。
周辺には写真の大田黒(元雄氏)公園や角川公園と荻外荘がありいずれも大きなお屋敷で荻外荘はご子孫がお住まいのため写真は遠慮したが近衛文麿首相が住まわれていた頃の付近は屋敷が並んでいただろう、現在はマンションや銀行の家族寮やその駐車場になっているが残っているお宅の庭木の太さ、石垣と塀の様子から類推すると当時は豪勢な邸宅が広い敷地の中にあったのだろう。
大田黒さんが公園にと寄贈したカワセミが来る池のある庭は8900㎡で所有した土地の一部だそうだから推して知るべし、荻外荘は通りから見るともっと広いらしいが公開されていないので不明です。
角川公園は次回行く事にしてレンズを見に行ってしまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E9%BB%92%E5%85%AC%E5%9C%92

やはり好し涼しい林せみ時雨    枯沼

2011年7月31日日曜日

在宅寄席

本当は各名人のDVDを買って聞けばよいのだが録画装置の連ドラ録画機能を使い日本の話芸を録画している。上方と江戸の噺を放送してくれるので知らない上方の噺が聞けるのも放送録画の利点だ。貯めておいて寝台にひっくり返り聞いていると寄席でひっくり返って聞いている気分になる、多分今では寄席も全て椅子席になってしまい煙草盆を前に寝転がっている風景は無いだろうが。
話芸と銘打っているだけあり演目もおなじみの古い噺で火事息子、三枚起請、唐茄子屋政談、粗忽長屋などなど話の内容が分かっていても同じ場所で笑ってしまったり、ほろりとさせられる、さすが名人の話芸だ。
それと放送時間が15分のため下手な枕を振ったりせずまじめに話しに入ってゆくのがよい。
昨夜貯蓄を取り崩して聞いた中に西行鼓滝という上方噺があり鼓滝という日本名三滝のひとつへ西行が出かけて和歌を詠み素人に直される夢を見た内容だが名滝が能勢辺りにあったとは知らなかった。
 夏何処か涼しき巷半ズボン    枯沼

2011年7月30日土曜日

団扇の骨


我家の団扇は骨がプラスチックで扇いでも団扇で風を満足に起こせない文字どうり夏炉冬扇だ、ところが昨日音楽会でくれた団扇は子供の時分には何処にでもあった竹の骨の団扇だった、きちんと節の部分に穴を開け少し太い竹ひごを通し開いた細い骨が扇がれた時にしなるのを受けて骨を強化している。
風呂焚きの渋団扇は大きかったが同じような仕組みだった、団扇一つを見ても隔世の感がある。
扇いで出てくる風は何か当たりが和やかで風を起こしましたと言わんばかりのプラスチック製とは趣が違う、うれしいものを貰ったいや頂いた。
 団扇もつ手やせ細りて七二歳    枯沼

2011年7月29日金曜日

昆虫がいない

写真のコガネムシ(と推定)は我が家付近で未だ見られる甲虫ですがトックリバチの巣を見つけて気がついたのだが夏になるとジガバチ、ハンミョウ、カミキリ、コガネムシ、タマムシなど何処にでもいた昆虫がいないのだ。現在東京都内で玉虫厨子を再現、レプリカを作ろうとしても貼り付けるタマムシが採れないだろう。歩く先を飛んでいたハンミョウ(道教えとか道しるべとも呼んだ)やクワガタも全く見られず、モンシロチョウの幼虫を運んで来て地面に穴を掘り入れてしまうジガバチは幻ではないか。
ファーブル昆虫記を幼い頃に読んで感激出来たのは身近に似た例もあり頷けたからだろう。
昆虫や生き物に興味の無い方々は毎日何を喚いているのかと思われるだろうが見られる昆虫はゴキブリ、ハエ、カ、ノシメコクガ、ジンサンシバンムシ、ホシチョウバエなど衛生害虫、貯穀害虫だけとなったら世の中は無粋なものになりますぞ。
      写真の昆虫の名前を間違えている場合がありましたらおおしえください。
   見たくても何処に行ったか夏の虫        枯沼

2011年7月28日木曜日

マムシグサの実


セミの抜け殻探しの副産物で養護老人施設の花壇でマムシグサと思われる植物を見つけた、居住されている方が植えたのでしょう。古代人が食糧にしたと云われ照葉樹林帯の代表植物でもあるらしい。
五月にYさんの別荘へ出かけたときに花が咲いたムサシアブミと思われる、マムシグサの親戚を見つけたが、あれも多分結実し色づいているのだろう。
最近では珍しい植物になったのだろうが古代人が食糧にしたといわれるのだから日当たりのよい藪には自生していたのだろう、最近は栽培条件も知らないで引き抜いて持ち帰る人がいるからなくなるのだろう、神田上水沿いの花壇では頻繁、白昼堂々と抜いて持ち去る傑物もお出でだ。
マムシグサと思うがテンナンショウ、ムサシアブミなどかもしれない、ご存知の方ご教示ください。


セミの殻幾年月を耐え忍び     枯沼

2011年7月27日水曜日

トックリバチの巣

久しぶりなのか初めて見たのか分からないがセミの抜け殻を探していたときに見つけたが残念ながら昨年の巣だろう、色が古ぼけていた。この巣が徳利を逆さにした形からトックリバチと名がついたらしい。巣の大きさは一円アルミ硬貨くらい、口が下向きではなかったかと思うがほぼ真上を向いていた、トックリバチの親は蛾の幼虫を捕まえて来て、この中に閉じ込めて幼虫に産卵し羽化したトックリバチの餌にして幼虫が育つようにする。蛾の幼虫が死んだら餌にならないので麻酔をかけて生かしているらしい。最後に穴から出て蓋をする仕組みらしいが蓋したやつは見たことが無い。
巣の材料は植物を噛み砕いて唾液と練り合わせて作るそうですがトックリバチは殆ど見た記憶がない、ジガバチが地面をモンシロチョウの幼虫を引きずっているのを見かけ後をつけて巣穴を見ておき同じように産卵した穴を掘り返して萎びた幼虫を見た記憶ならあるのだが。


 夏来たがセミ鳴く求め老い歩き           枯沼

セミの抜け殻



今年はセミの鳴き声が聞こえないと平塚、豊中にお住まいの方も感じてお出でのようで我が家付近でも声はするが数が少ない。心配になり毎年見に行く公園へ行ったら例年より若干少ないがざっと数えて五十個以上あった、アブラゼミ、ニイニイゼミなど種々のセミの抜け殻があり安心した。
しかし鳴いている声が少ないのは何故かと考えてみると夜間から早朝にかけて羽化する時は一番外的から狙われるので、この公園にに多くいるハシブトカラスに食われているのではないか、或いは人間が捕っているのかもしれないが。
もう一つ考えてみると今年は梅雨明けが早く例年だと今頃という年も多々あり、これから夏でセミも鳴き出していたと思う。未だセミが地面から抜け出す温度に地中ではなっていないのかも。


 蝉蜻蛉居てうれしくて五月蝿くて    枯沼

2011年7月26日火曜日

飲み屋のお客

画伯から誘われて17時に神田で待ち合わせて、いつものお世辞にも綺麗とは云えない如何にも飲み屋らしいテレビ番組に出て来そうな店へ行った。親父一人でやっていて、ちょうど店を開けるところだった、30分もするとほぼ勤め人風体の男性客で一杯となり画伯が時々は上京しないと分からない情景だ、たまには出てこないと時勢に遅れると未だ意欲と闘志が衰えていない語り口だった。
しかし絵画倶楽部は退会者が増えて残りの会員では立ち行かないとぼやいていた、古い会員との軋轢、会費1000円値上げした事が影響しているようだが、現状を楽しんでいるようで当分ボケは無いだろうと感じた。どこか旅行に行こうと誘われ秋以降に凸凹珍道中があるだろう、あの映画の正式タイトルは何といったのだろう。












蝉鳴くや耳鳴り止まず悲しくて     枯沼

2011年7月25日月曜日

西瓜

もう少し時が過ぎたら子供たちが西瓜の切ってないのを見たことが無いと言い出すだろう。
我が家付近では丸ごと大きな西瓜を売っていません、全て切り分け1/8の切り身でxxx産480円などと値札が貼られて棚に並んでいる。切り身にして部屋は少し冷えているが棚は野菜売り場の玉葱やトマトと並んでおり冷却設備は無い、このようなところで売られて変敗しないか心配になる。
大きな西瓜を盥やバケツで冷やし午後3時頃に家族揃って食べた黒い種の多い西瓜の美味かった事、西瓜の絵と言うと赤い半月形に黒い粒粒を描き込めばよかったが最近は種は無いし真っ赤な色もしていないから西瓜らしく質感を描くのも難しくなった。
そう云えば水菓子を食べさせる店も見かけなくなった、風情が無い世なんだなー。


 水菓子を食べさせる店既に消え    枯沼

2011年7月24日日曜日

僕とテレビ

先ほど正午に道を歩いていたら、このテレビこれで終わりだねと中年女性の大きな声が聞こえてきた。
そうだ今日でアナログテレビは終わりだったのだ、初めてテレビを見たのは日本橋三越で白い服で歌う女性を隣の部屋でブラウン管に映し出していたやたら照明が天上からぶら下がり熱い実験を並んで見た時、多分小学4年生頃だったろう。
それから十数年して我が家に父の商売道具として白黒テレビを買った、カラーテレビも商売道具だったから買ったのだろうけれど覚えが無い、自分でテレビを買ったのは結婚の時だったろう。
それから何台買ったか分からないが食事の時はテレビを消すと言う約束を一番に破ったのは僕だろう、最近ではテレビを見て食事をしこぼすからとテレビに背を向けて座らされてラジオだ、天気予報とニュース以外に興味も少なくなった昨今ラジオでもかまわない。


 夏空にアンテナ光りテレビ逝き    枯沼

2011年7月23日土曜日

夏の虫

ニイニイゼミ、ミンミンゼミは声を聞いたがアブラゼミ、クマゼミは聞いていない。田圃へ行ったらいつもの年なら池を周回しているギンヤンマとイトトンボを全く見なかった。この付近には特にキイロイトトンボが生息する池があったがマンションになったそうで杉並区の絶滅危惧種と僕は決めた、と言うのも生息を教えられて以降毎年見に来るのだがマンションの工事以降見ていないからだ。
今年はセミが鳴いている数が少ない、その原因は放射能だと実しやかに言う人がいるがセミは5年くらい幼虫で地下にいるから放射線の影響を受けていない、あの水爆実験で死の灰と言われる放射能を含んだ塵が降下してきた時の影響が出て来たなら話しは分かる。


灯が消され行き場求めて夏の虫     枯沼


追伸
   朝早く散歩しているとカブトムシを例年より多く見つけます
   とのお話しがありました。

2011年7月22日金曜日

クサギ

植物の名はそのものずばりとどうしてこのような名がついたのか解らないものがある、例えばオオイヌフグリや殆ど今では見られないイヌフグリは早春に咲く可憐な花だがフグリとは何故なのかなと思う。
それに反してヘクソカズラもそうだがクサギも名が体を表す、そのものずばり臭い。
この写真を撮っている時に僕くらいの年配の女性がきれいな花ですね、名前が判りますかと聞かれたので教えてあげ意味を話している途中でふっと立ち去った、臭いを教えてあげようと葉を強く擦った僕は一人でクサイと思わず声を上げた、えもいわれぬ臭さだった。


 こめかみの痛さなつかしかき氷       枯沼

2011年7月21日木曜日

過疎の町の七夕祭り

京王井の頭線富士見が丘駅付近の商店街が毎年8月に七夕踊りを催している、その案内が神田上水に架かる橋の上に立てられている。提灯の数が商店の数、店が段々無くなり寂しい限りだ。
本屋、すし屋、飲み屋などなど継ぐ人がいないので店じまいしていったようだ、住人は減っていないのだが何故か店が流行らない通りだ、まるで過疎の町みたいな状態でスーパーも集客対策に配達しますと宣伝している。何処も住宅街はこのようなものなのだろうか、踊り手がいるのだろうか、お覚えていたら見に行きますが踊りの場所が何処なんだろう。


野分来ず土用丑の日涼しくて        枯沼

2011年7月20日水曜日

もう少し予報精度を上げられないのかな

猛烈な台風6号と予報され凄い被害が出ると言われ、物干し場の植木鉢を片付けたりしているが関東では未だやって来ず雨が少し降っただけ。
台湾から来た友人とジブリで会う約束になっていたが、猛烈な台風とテレビで報道されているので年寄りに気を使ってくれて再会は延期となった。肝心の予報では強風が吹き荒れているはずが未だ紀伊半島を過ぎた辺りをゆっくりと東へ向かっているらしいが薄日が出て半日以上遅れてしまった、今夜荒れるのかな。
地震は電離層が低くなる事で早期予報が出来る望みが出て来たが台風も予報精度を上げてほしいものだ、米海軍の予報が精度があるといわれているらしいが真似て上げて欲しいものだ。


 




蝉鳴いて愚人こぞりてまつりごと     枯沼

2011年7月19日火曜日

今まで知らなかった


玉川上水でコオニユリのつぼみが何時までも開花せずやきもきして見ていた。蕾も小さいからコオニユリと思っていたが区別を調べなおすと、この花はオニユリであることが判明した、植物学者でも花を並べられ一見して区別は難しいと調べた図鑑に書かれていた。一番簡単な区別はムカゴが茎についているのがオニユリ、無いのがコオニユリですと。
僕は花が小さい種類があり、これを小鬼に見立てていたのかと思ったが調べなおしてよかったし偶然に蕾を折り取られたムカゴがはっきりしているオニユリがあってよかった。


ついでだがヤマトナデシコは古来から日本固有のナデシコで平安時代に中国から輸入された唐撫子に対して大和撫子と呼んだ事から出来た古い歴史のある言葉である事も知った。




オニユリや凛々しく雑草に立ち向かい     枯沼

2011年7月18日月曜日

林のバー

僕はこの季節に林のバーへ行くのが好きだ、気温が比較的高く風の無い日だと微かに醗酵臭がする時もある。実はクヌギ、カシなどの広葉樹の幹から出る樹液なのだ、これが夏の気温で醗酵していると僕は勝手に臭いからバーと名付けている。
ここにはカブトムシ、クワガタムシ、カナブン、コガネムシ、チョウ、スズメバチなどが来て争いながら樹液を吸っているが小さなものや力の弱いものは撥ね退けられたり追い出されたり生存競争が激しい。
このバーに現在、カナブン、コガネムシ、チョウが来ているが時々見られるクワガタムシやカブトムシはいなかった、夜行性のためなのか昨夜捕獲されてしまったのか。
ここは玉川上水にある秘密のバーの一つでカブトムシをお目に掛けられず残念、昆虫採集をするならバーで待っていると種々の昆虫が採取できる、時間帯で何が来たか記録しておくと夏休みの自由研究になるが永久に暇な僕が一定時間毎の写真を撮り調べてみるか、以前書いたサケノミチョウも来る。

此処で捕まえた甲虫の餌として蜂蜜を水で8倍濃度に希釈し脱脂綿に浸して置いておくと吸う、僕の経験ではカブトムシが12月頃まで生き延びた事が数回あります。濃度は少し不正確です、吸わなかったら徐々に濃くしてみてください。

虫を捕る麦藁帽の我何処に             枯沼

2011年7月17日日曜日

気になる品質

駅の近所にチェーンの薬局がある、通りに並行して側溝が通っているが、この上に台を置いて商品を並べている。狭い通りで歩きにくく先日は杖を突いた盲人が台に足を引っ掛けて転んだほど突き出ている。
日当たりが極めて良く並べてある商品は耐候、耐光試験をしているのではないかと思われるほど。
並べられているのはトイレ用品、ミネラル水、各種洗剤、シャンプー(時として並ぶ商品が異なるが)、殺虫剤などでさすがに内服薬は並べていない。しかし晴れていれば日が当たる場所に並べられた品物は確実に50℃以上で6時間は曝されている、口に入る品物は確実に味が変化すると思うのだが箱に入っていて直射日光が当たらないにしても大丈夫なのかなと見る度に心配になる。


 節電と知恵比べ大暑かな             枯沼

2011年7月16日土曜日

台湾からのお客

東日本大震災直後の予定で台湾から一緒に働いていた若者が来る予定だった、舞浜は液状化でディズニーランドが閉鎖されているから中止と震災翌日朝にメールが来たが東京では報道されていなかった。
それから種々都合で延期が繰り返されやっと明日から遊びに来る事になった、三鷹のジブリへも来るそうで、震災以降ジブリ付近で外国人を見かけなかったが戻ってくるのだ。
何処へ行くのか詳しい事は聞いていないがジブリの次に三井のアウトレットモールへ行くと書かれていた、そのようなところまで調べて見に行くとは未だ日本を忘れていない外国人がいてくださる、うれしい事ですね、台風が邪魔をしなければと気をもんでいる。


 月高くおがら焚く老人控えめに         枯沼

2011年7月15日金曜日

ヘクソカズラ


万葉集に詠まれているこの雑草、夏草が生い茂る中で可憐であるが、草むしりなどして塀やフェンスなどから他の雑草と一緒にむしり取るとかなり臭い匂いを発する。誰でも一度や二度は嗅いでいるだろうけれど、この花の主と知らない、気がつかない方もあろう。
臭いは悪臭に属するが葉、実などは薬効があり漢方で使われ下痢止めや霜焼けの薬として使われているそうだ。
冬になると枯れて茶色くなった茎に実がついているのをクリスマスのリースなどに使われていたりするが夏に嫌がられた草でも枯れると重宝されるものがあるのだと思っている。
ヘクソカズラは今頃、フェンスのある工場、学校や運動場の日当たりのよいところで咲いており、我が家付近にもあり古代人集落の多いこの地帯で日本の夏を眺めて来た代表選手の一つだろう。




 夏草を刈れば出てくるクソカズラ           枯沼

2011年7月14日木曜日

散歩の場所

最近の厳しい暑さの天候はコンクリートとアスファルトで覆われた我が家付近では白昼歩く人も稀だ。
困るのが鳥見と散歩、頭から照りつける日盛りをのこのこ歩く人は余程用事がある人で過去に熱中症で目を回し入院した前科のある僕は外出を許してもらえない。
早朝か深夜に出かければよいのだが熱された空気は冷めず淀んでおり歩き出すとたちまち汗が吹き出る、また夜中に歩き回る老人は徘徊していると間違われかねない。
カラスウリのレースのような白い花を撮影しようとすると何処からつけてきたのか何をしているのだと職務質問される、せめて日が落ちたら輻射熱が無い川の土手とか畑、森などを歩きたいが真夏の夜の夢でしか不可能だ。




  汗拭いて休む工夫や風流れ   枯沼

2011年7月13日水曜日

通った場所

最近福島県の阿武隈山系や周辺の地名が頻繁に出てくる、実に懐かしい地名であるが今は放射線のホットスポットとして突然寝ている子が起こされたような感じだ。
山の中の舗装もされてない細い道、冬は凍っていたし谷の夏井川も凍っていた、トンネルの出口が踏み切りで蒸気機関車が飛び出してきて驚き命拾いもした。
どの道を通って太平洋岸へ出ても山間の道路の周辺は養蚕と稲作の貧しい農家が僅かにあった、この風景は会津の方へ行っても変わらなかった東北の普通の風景だったのだろう。
その東側を切り崩して原発が出来て地域は一時的に潤ったが元の風景に戻ろうとしている、ただし人が住んでいない風景が出来てしまった。




切り売りの西瓜食べさす店探し     枯沼

2011年7月12日火曜日

トンボ



今朝、散歩の途中でオハグロトンボと出遭った、今夏初めてだし予想していなかった。
出会う可能性があるトンボといえばコシアキトンボ、ムギワラ、シオカラ、ナツアカネでひと夏に一匹くらい子供の頃はたくさんいたが素早くて捕れなかったギンヤンマ、オニヤンマに出逢うくらい。
たぶん40年前だったらかなりの種類のトンボが生息し子供たちが虫取り網と籠を持って神田上水の辺りを遊びまわっただろう。染物の糊を洗い落としていた川がコンクリートになって全て変わってしまいオハグロトンボで感激する極めて情けない事になったものだし、トンボつりなんて遊びは死語だ。




 
  制帽の白さまぶしく子等ふざけ     枯沼

2011年7月11日月曜日

暑いゴイサギ

養護老人施設の池に久しぶりにゴイサギが来ていた、現在午前10時を少し過ぎたところだが遠慮会釈なく真夏の太陽が照りつけ35℃は越えているだろう。
水際で魚を狙うゴイサギは暑いのだろう嘴を僅かに開けて口でも呼吸しているのか、魚を見つけたら急いで閉じて飛び込むのか見て居たかったが過度の日焼けになるので止めた。
嘴を開けて餌を狙うのを見るのは初めて、台北の真夏の公園でさえ口を閉じていた。
足も熱いのだろう片足を上げたり少し歩いたり集中して餌を狙えないような状態だった。




夏空に電力不足恨めしく            枯沼

2011年7月10日日曜日

髪は我を救い給わず

礼拝が終わり教会を出たら真夏の雲ひとつない空から正午の太陽が頭の天辺へ容赦無く照りつける。暑いというより熱い、これでは火傷してしまう。
先ほど教会で牧師さんから「九十九匹を残して一匹を捜す」と神様は迷った一匹の子羊を捜し出すとお説教を聞いたばかりだが僕はさ迷う一匹の子羊に該当しないのだ、さ迷い続けている72年の羊いや卯年だが髪からも見放されてしまった次第で慌てて帽子をかぶった。
久しぶりに天辺を写して見たら羊や卯ではない河童だった。




 梅雨明けは一夜で空が入れ替わり          枯沼

2011年7月9日土曜日

音楽を聴きに行った

ご近所の方が今日午後の日本フィルの定期演奏会の入場券をくださった、ハイドンの交響曲60番うつけ者という曲が演目の第一番目だった。このような曲があるとは知らなかったのであえて予備知識無しで喜び勇んで出かけた、しかし何か期待と違う演奏でうつけ者の趣旨が演奏の何処にあるのか分からず最後になって二人の演奏者と指揮者がふざける場面が出て来ただけで最後まで何でうつけ者なのか分からずじまい。僕のような素人に西洋の古典音楽が理解出来る筈はないが難解なリズムやメロディーでないだけに残念だ。


  制服の襟思い出す半夏生